2019/10/12

フェスティバル トーキョー2019 OPENING セノ派『移動祝祭商店街』

フェスティバル トーキョー2019 OPENING セノ派『移動祝祭商店街』にご来場いただいた方々へ。
ありがとうございました。
初の試みがいろいろありましたが、大きな事故もなく無事イベント終了しました。
フェスティバル トーキョーのスタッフの方々および地域商店街の方々の尽力のおかげです。
また記事にもいろいろと載せていただきました。
ご興味のある方は是非ご覧ください。

以下美術手帖のセノ派インタビューの記事です。

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/promotion/20609

2019/06/14

関内アトリエ 解体ワークショップ第二弾!

こんにちは。
杉山 至です。
関内アトリエ解体ワークショップ第二弾!を行います。
2019年6月22日(土)
詳しくは
以下。
http://www.sai-npo.com/plan/637

参加者募集中です!

2019/04/12

SAIアトリエ 解体ワークショップ決定!

こんにちは。
杉山です!
直前ですが、
NPO SAIの関内アトリエの
解体ワークショップの日程が決定しました!
詳しくは以下。
http://www.sai-npo.com/plan/631

興味ある方是非ご参加ください!

2019/04/10

NPO S.A.I.による横浜・関内 アトリエ リノベーションプロジェクト『部屋を育てるアートプロジェクト』始動中!

こんにちは。杉山です。

私が所属するNPO法人S.A.I.による横浜・関内でのアトリエ リノベーションプロジェクト『部屋を育てるアートプロジェクト』のリノベーションプロセス『部屋の育て方』が2019年4月よりいよいよ始動します!


2018年度、ヨコハマ アートサイトの助成金を受けて始動した『部屋を育てるアートプロジェクト』
1年目は『街を解体する』というテーマのもと、セノグラフィー (舞台美術)・建築家・ダンサー・劇作家・演出家・俳優・照明家・ドラマトウルクのエキスパートをお呼びして、横浜・関内をパフォーミングアートの視点からじっくりとリサーチ&体感してきました。
各ワークショップに参加してくれた皆さま、そしてナビゲートしてくださったアーティストの皆さま、本当にありがとうございました!http://www.sai-npo.com/


2019年4月より、いよいよ次のステップ『部屋の育て方』が始動します!
4/20解体ワークショップ決定!
解体ワークショップの告知です!

http://www.sai-npo.com/plan/631







<セノグラフィー ってなに?>このブログの目次は以下になります。
http://itarusugiyama.blogspot.com/2018/10/blog-post_17.html


・遅ればせながら、2018年6月に行った『部屋を育てるアートプロジェクト』プレワークショップの “関内スケッチ散歩”のブログ更新しました。
http://itarusugiyama.blogspot.com/2019/03/5.html

・セノグラフィー の発想2 <幕を巡る考察1>を更新しました。12019/04/04
http://itarusugiyama.blogspot.com/2019/04/2-1.html

2019/04/05

スケッチ散歩6<長野 善光寺の謎を巡って>をアップしました!

こんにちは。 杉山です。
去年の正月、長野・善光寺に参拝したときのスケッチ散歩の文章アップしました。(2019/04/05)
http://itarusugiyama.blogspot.com/2019/04/blog-post.html

つい先日、愛知の豊川稲荷に参拝する機会があり、豊川稲荷の本殿の形が善光寺にとても似ていたので、昨年まとめかけていた文章のことを思い出しやっとアップしました。また、豊川稲荷についてもまとめられればアップします。


<セノグラフィー ってなに?>このブログの目次は以下になります。
http://itarusugiyama.blogspot.com/2018/10/blog-post_17.html

セノグラフィー ってなに?<スケッチ散歩6>長野 善光寺の謎を巡って


善光寺 参拝~善光寺の謎を巡って〜2018/01/13


<長野の由来>
南に開けた緩やかな傾斜地
その長い野原が長野の由来という。

遠くに信州の山並みが見える。
真っ直ぐな参道をぐんぐんと登っていく。
善光寺の大きな門(仁王門)が参道の遠くからでも良く見える。

劇団青年団の公演で初めて長野を訪れた。折角なので空き時間、
善光寺にスケッチ散歩に出かけた。

真冬の長野、凛とした空気が張りつめている。
南側斜面に開けた参道は真冬でも日差しを受けて気持ちがいい。

絶妙な曲線の
唐破風重厚だが軽やかな兜のような屋根。仁王門の前には数段階段があり、そのため近づくと門は高さを増して大きくせまってくる。
黒く浮遊する武人の兜のような屋根の向こうに真冬の信州の蒼い空が広がっている。(1)
(1)長野 善光寺参道とその先の仁王門
<仁王門と仁王像>
空に見とれていたら門の端に屹立する黒影が目に飛び込んでくる。仁王像?ドキっとする。
階段を登り門をくぐるとき、左右の阿吽の仁王像と目が合うポイントがある。否応でもちょっと立ち止まってしまう。
「我々がみているぞ。ここから先は、悪人はとおれぬぞ。」
そんな声が聞こえたかどうか。恐る恐る門をくぐる。(2)

(2)長野 善光寺 仁王門
後でわかった事だが、善光寺宝物館に大正時代の小さな模倣があり高村光雲と弟子の米原雲海の作とあった。(3)
(3)善光寺 仁王門 仁王像 彫刻
https://www.zenkoji.jp/houwapost/第36回%E3%80%80仁王門について/より

仁王門の中に足を踏み入れると、次元がまた一つ変わる。さらに開けた高原の平地が広がる、巧みなシーン デザインだ。

そこから真っ直ぐと伸びる石畳の門前街がまた素敵だ。
その先に三門と善光寺本堂が顔をだす。


<風水と善光寺>
古人が列島の背骨に発見した美しく素晴らしい環境。大寺院はその地に佇んでいる。
緩やかな南斜面の地、北に山を従えたそれは、風水を読み解いた古人の知見の見事さだ。遠く東を流れる千曲川が東を司る青龍だろうか。

平安京にも匹敵する強い風水の地。
古人がこの地のパワーを読み解き、古くから城や都、寺院が建立されたのもわかる気がする。
信州の地にあって時の中央の権力、大和朝廷とどのような関係をきづいていたのか?
信州の山並みが聳えるどこまでも蒼い天球を見上げて妄想する。


<門前町と石畳>
歩こう。今度は下に目がいった。(4)


(4)参道の見事な石畳
敷石が美しい。ちょっと赤みがかった、表面が滑らかな石だ。
近くの案内版には、安山岩とある。江戸時代に信州の山から掘り出したものだと言う。看板に曰く、泥棒だと思い殺した相手が放蕩の我が子だと知った大商人が業の深さを悔い寄進したものだと言う。7777枚もあるらしい。因果、因果。六根清浄、ろっこんしょうじょう。

この綺麗な石畳を歩きながら、
イタリアの中世の街 ベローナを思いだした。
街の道路という道路がちょっと赤みがかった大理石で敷き詰められている。ベローナローザと呼ばれる美しい石畳の街。
それにも匹敵する凛とした気配をこの敷石はつくり出している。
江戸中期、どれだけの富が善光寺に注がれたことか。石が無言に語っている。

敷石が作り出す浄土の結界。
時代を超えて様々な人々の憶いが、重なり連なり通り抜けていった石を踏みしめながら歩く。

参道の端々にここは何丁という表示があり、それが変わるたびというか、地形にその丁を合わせたというべきか、丁が変わるたびに傾斜の角度が変わったり参道の建物の雰囲気が変わっていく。

仁王門を越えるといよいよ善光寺の境内に入ってきた感がする。

仁王門から三門までの間はいくつもの土産屋や蕎麦屋がのきを連ねている。



<いよいよ三門>
平入りの三門は五間間口の二層で、お金を払えば楼閣に上がれる。
江戸時代の再建という。帰りに登って見よう。(5)
(5)本堂と見間違えるほどの三門の威容


京都の南禅寺の三門、知恩院の三門にいずれ劣らず美しい。
こちらの三門は一層と二層の垂木は平行に並んでいる。確か南禅寺の三門の二層の垂木は放射状だったような。こちらの方がシンプルな印象を持った。

まだ正月、13日だ。
三門に掲げられた文字の中に鳩がいるという善光寺の額を挟んで賀正の赤い字がはえる。(6)

(6)善光寺山門の額/5つの鳩がいるという、、。
http://goldnews.jp/photo/chubu/entry-1508.html より


<フレーミングされた本堂>
三門の真下にて、また立ち止まる。
太い円柱に切り取られ、いよいよ本堂が顔を出す。

本堂と三門の絶妙な距離と柱間から切り取れれて見える本堂のバランス。
古人のシーンデザインの巧みさにまた驚く。(7)
(7)三門の柱が作り出す額縁から本堂を眺める
<本堂の屋根の形の謎>

大きい!
屋根が浮いている?
この迫る感じはなんだろうか?

お寺だよね?
ちょっと不思議な感覚に襲われる。

?の理由を考えてみる。
今回これを書こうと思った理由がこの違和感にある。

善光寺は独立した宗派の寺院だという。創建も古く平安時代頃だ。
?と感じたのは、なんかお寺っぽくないのだ。
いつの時代でなんの宗派なのか?
外観の印象が今まで京都などで見てきた寺院のどれとも似ていない。
その違和感は屋根と正面の見え方にある。

本願寺や知恩院と言った鎌倉仏教の本堂は横に広がっていて屋根はこちらに柔らかな曲線を差し出している。建築的には平入りといい優しく招き入れるような形をしている。
空海の東寺や日本最古の仏教寺院、法隆寺の金堂、講堂も平入りだ。
(8)
(8)京都 本願寺 本堂
http://www010.upp.so-net.ne.jp/teiryu/Ky12.htmlより

しかし善光寺の本堂は、切妻屋根の三角が天空に鋭角となって聳えている。正確には入母屋屋根だが、聳え立つ鋭角が印象強く、写真を見返すまでは切妻だと思いこんでいた。
その深く高い三角の妻手の下が、流れ作りの曲線になり、しなやかにこちらに迫ってくる。
それはまるで鳳凰が飛び立つような、重厚だが颯爽とした印象を与える。
さらにその下に裳階が廻り唐破風となり、二重に階層が連なった屋根は両翼を広げた鳳凰が翼を上下させたような動的な印象を強める。
それは今まさに飛び立ち、翼をいきよいよく上下した軌跡が残像として残っているような感じ。(9)
(9)善光寺 本堂外観

切妻や入母屋という屋根の形はどちらかというと神社の建築に見られる様式で厳かさ・
畏れを抱かせる感じがある。
神社 春日造の例(10)
(10)神社 春日造の例 
https://kotobank.jp/word/春日造-44514より


御柱が御神体となり、天と地を繋ぐ間の装置として機能する。内部は神の為の空間となり、通常人は外から祈る。神明造の例(11)
(11)神社 神明造の例 柱自体が御神体になる
https://kotobank.jp/word/神明造-82645 より



一方寺院の内部は読経や修行、祈りの為の空間だ。
信者をなるべく多く招き入れ,
皆に読経が聞こえるよう横に広く、仏に近く座れるような仕掛けに溢れている。

<風水を取り入れた本堂の形>
善光寺の本堂は奥行き深くその外観の印象は、凛としてまさに鳳凰が飛び立つような姿だ。
南に向かう鳳凰といえば、、。
風水を意識している?
そこでちょっと思いあたった。

例えば京都は風水を巧みに読み込んだ都市で、寺院などでは、各々の方位にちなんで龍-東、朱雀-南、虎-西、亀-北のキャラクターがその方位に関係する位置の屋根瓦や門にいたりする。この善光寺の本堂の南面のファサードの表現自体が、朱雀即ち鳳凰に見立てられているのではないか?だからだろうか寺院の本堂というよりは、神社あるいは、皇帝の住む御所のような印象を受ける。


いずれスケッチしてみよう。
何か謎が解けるかも、、。


<本堂の平面の謎>
本堂の前で焚かれている線香を身体にあて、本堂に入る。
やはり大きい。そして平面図を見ていたときにも感じていたが奥がとても深い。間口の倍あるのだ。(12)
(12)本堂平面図(A - 外陣、B - 内陣、C - 内々陣、赤色は本尊安置場所)
https://ja.wikipedia.org/wiki/善光寺 より


こんな平面のお寺、他にあっただろうか?
また一つ謎を抱えながら、一番奥の下手に安置されている秘仏の前に佇む。
合掌。
秘仏(本尊)が下手に安置されている(平面図の赤い部分)のも不思議だ。
折角なので戒壇巡りをしてみる。

縁の下の真っ暗闇の道、右手の板を触る感触だけで前に進んでいく。
時折、丸い大きな柱の円弧を触り、何度か角を曲がり何かに触った。びっくりし手を瞬時に引っ込める。
ふたたび板壁を触りながら進むとうっすらと明るくなり、先程入った本堂上手の階段のすぐ奥の階段に出た。知らぬまに本堂下の暗闇を一周していたわけだ。
説明文を読んでみると、なにやら秘密の錠がありそれは秘仏に通じているらしく幸運をもたらすという。探しあて触って下さい!とある。
しまった!さっきのあの変な出っ張りの感触が、、。すぐに手を引っ込めてしまったが。

ああ、、。

暗闇の中を歩く。手の感触だけを頼りに。戒壇巡りや胎内巡りという空間装置の身体と関わるアート的な魅力に改めて感心する。

さてまあ、暗闇の後は心晴れやかに外に出る。
三門に上がり、信州のパノラマを体感し、セット券で回れる経蔵でお経の回転装置を回し、忠霊塔の地下にある宝物殿を見て、善光寺を後にした。(13)
(13)山門からの信州長野の眺望。山並みが美しい。




<善光寺参拝2日目>
翌日また訪ねて今度はスケッチを試みる。
(14)
(14)善光寺のスケッチ2018/01/14
サイドから見ると屋根のT字型の作りがよくわかる

前日にも感じた違和感。
それは外観、特に屋根の形がお寺っぽくないということ。

そして、内部空間に関してもだ。本堂の平面を見たときに感じた間口に対して奥行きが2倍あるという普通のお寺っぽくないという違和感である。

ちょっとほかの寺院の平面と比較してみたい。
例えば京都 知恩院 本堂(御影堂)。(15)
(15)京都 知恩院本堂(御影堂)平面図
https://ja.wikipedia.org/wiki/知恩院#/media/File:Chion-in_Hondô.jpg より


先に写真でみた本願寺本堂もこの法然聖人の知恩院本堂(御影堂)も横長の平面をもっている。基本間口(柱と柱の間)は奇数で中央が間(開口)で受ける。人を招き入れる形だ。


この違いはなんなのか?

善光寺は何度も燃えているという。現在目にするのは江戸中期の再建。
もしかしたら、もっと昔は違う形だったのかも?とネットで調べてみると。
2つほど、描かれた善光寺の姿を見つけた。


<善光寺いにしえの姿>
一つは鎌倉時代の絵。
一遍上人絵伝に描かれた善光寺だ。(16)

(16)一遍上人絵伝 善光寺(第1巻三段)
https://s.webry.info/sp/nora-p.at.webry.info/201511/article_11.html より
この絵では、本堂は横長に描かれており、本願寺や知恩院と似た感じになっているが、

屋根の形にやはり現在と同様の特徴、すなわち入母屋の形が見えている。
屋根の棟の形は十字形になっている。


もう一つは豊前善光寺所蔵の縁起絵伝に描かれた善行寺。こちらは江戸時代中期という。(17)
(17)豊前善光寺所蔵の縁起絵伝(江戸中期)
http://mylovetabilogs.blogspot.com/2015/09/blog-post_24.htmlより



よく見ると手前の空間、現在の外陣にあたる部分は壁がなく屋根のみのテラス空間になっている。もしかすると信者が多いため祈りの空間を増設するという目的で一編聖人絵伝のような平入りの軒の空間が伸びてきて、室内化したのだろうか。
共に入母屋作りの屋根は共通しているが、間口と奥行きの幅の関係は逆になっている。
こちらの方が現在の善光寺にかなり近い。そして現在と共通しているのは屋根の棟の形だ。T字形になっている。
平面図にトレースすればこんな感じ。(18)

(18)善光寺 屋根の棟のT字型のライン

これは何を意味しているのか。
屋根の形態が内部空間の用途に合わせ変えられているという事だろう。

すなわち善光寺の本堂は二つの空間から成り立っているという事を示している。
先に見た江戸時代中期の絵のように、前方の外陣部分と後方の内陣部分。
単なる縦長の空間ならわざわざ屋根をこのように分離する必要はない。切妻のシンプルな屋根を通せば良い。しかし、善光寺のこのT字形の屋根は二つの異なる空間を結合した事を意味するのではないか?


<ハイブリッド空間>
即ち、奥は従来のお寺の本堂、それも方形の空間に平入りの屋根。
前方の部分は妻入りの形、すなわち切妻形の神社の形式の空間だ。

寺院のスタイル神社のスタイルを合体させたハイブリッド空間なのである!(19)

(19)善光寺のハイブリッドな空間構造


ハイブリッドな聖なる空間、、?とくればビジュアルアナロジー的にはハイブリッドな古墳の形、前方後円墳に飛ぶのである。

<前方後円墳とストーパ>
方墳と円墳という全く異なるシステムをハイブリッドに結合させた形。

近畿のみならず関東、長野にも多く分布している古墳の形式。
例えば長野にはこんな前方後円墳があるという。(20)
(20)長野県 森将軍塚古墳
https://www.travel.co.jp/guide/article/26566/ より 写真:松縄 正彦氏

なぜ前方後円墳に飛ぶかと言うと、、。

『空海 塔のコスモロジー』 武澤 秀一/著という本で、塔の原型であるインドのストゥーパについて面白い記述がある。


ストゥーパは塔であるが、土饅頭に近く平面は円形をしているという。(21)
(21)サーンチーの大ストーパ
https://ja.wikipedia.org/wiki/仏塔#/media/File:Sanchi2.jpg より
そして、参拝の方法はその周囲をぐるりと巡るという方法なのだ。日本のように正面で参拝するのではなく、この円墳の周りをグルグルと巡ることが重要なのだ。
まるで戒壇めぐりのように。あるいは、チベット仏教で見かけるお経を回す装置=マニ車のように。
前方後円墳の後ろ部分の円墳のルーツがストゥーパなのではないか?。

ストゥーパが中国に伝わり石の多重塔となり、木造の塔となり、日本に入って来て法隆寺の五重塔の形になる。
元の石塔、例えば五輪の塔は平面は方形と円形が重なっている。(22)

(22)叡尊塔(奈良市西大寺奥の院)五輪の塔→幾何学形態の重なり
https://ja.wikipedia.org/wiki/五輪塔 より

<戒壇巡りとストーパの参拝方式>
そして先ほどの本堂下部を巡る、“戒壇巡り”は本堂の奥の真下をぐるりと巡るルートになっている。善光寺の本堂の奥の方形のベースにストゥーパに通じる円墳のアナロジーが隠れていはしまいか?
戒壇巡りのルートが、不可視の円墳を浮かび上がらせるのだ。(23)

(23)善光寺 戒壇めぐりMAPより

真っ暗闇の中での手探りで歩くルート。なんども折れ曲りながら、八の字を描かせるように身体を誘う。この円形のルートにストーパの痕跡がみいだせないだろうか。(24)




(24)善光寺 戒壇めぐり イメージ概念図
内陣と内内陣を八の字を描いて回る。不可視の円が体感として浮かびあがる。
外陣Aの方形の空間とBの下部にある不可視の円形空間のハイブリッド構造

どんどんと妄想が膨らむ。
前方後円墳の方位に対する布置の仕方は?どうだろうか?
円墳の部分が北側にありはしないだろうか?
長野エリアにも前方後円墳が多く分布しているという。

そのエリアと長野、信濃川の関係は?
善光寺は元は地域の王族の聖地ではなかったろうか、、、?


<風水と善光寺> 先に初めて善光寺を参拝したときに、感じた自分の記述をもう一回読み返す。

『古人が列島の背骨に発見した美しく素晴らしい環境。大寺院はその地に佇んでいる。
緩やかな南斜面の地北に山を従えたそれは、風水を読み解いた古人の知見の見事さだ。遠く東を流れる千曲川が東を司る青龍だろうか。

平安京にも匹敵する強い風水の地。、、、』




物流の拠点、風水の地。大和朝廷と絶妙な距離をとってきた王族の聖地?
大和朝廷との関係の中で、寺院としてその王族の痕跡を巧妙に隠しながら存続させてきたのではないか?

謎は深まるばかりだが、善光寺の唯一無二の形態や単独の宗派であるという事、長野の地域性や独特の文化の中で大切にその存在が守られ、愛されてきた事がわかった気がした。

この善光寺の地形が持つ、風水は不可視の龍の道をイメージで浮かび上がらせる。

山門を降りながら、そんな事を妄想する。

<追記>
善光寺に向かう途中 権堂商店街にある宇賀神弁財天を参拝した。芸能の神・弁天様。
舞台芸術に関わる者としては是非ともと思いスケッチ。
実は後でスケッチを見返して気づいたのだが、この弁天様のお堂の屋根も善光寺本堂と同様な造り、入母屋と唐破風まで善光寺をトレースしている平入りと妻入りのハイブリッドになっていた!善光寺のミニチュアといっても良いかもしれないつくりなのであった。

また、この弁財天が九頭龍の伝説、すなわちヤマタノオロチと関わっているという。
ヤマタノオロチを退治した素戔嗚尊はインドの芸能の神・牛頭天王と習合している、、。
弁財天と九頭龍と素戔嗚と芸能と、、。
謎は深まるばかりだが、龍の道を内在させた善光寺の風水的布置に改めておののく。(24)

(24)宇賀神大弁財天のお堂
かわいらしが風格がある
スケッチの時に書いた文章(絵の上)。
『善光寺 参道の東側に権堂商店街の大アーケードが一直線に伸びている。
そのたもとの所に弁財天がある。
権堂の由来となった寺。法然聖人が泊まったとある。
九頭龍の伝説と関わる弁財天。
ひっそりと美しくたたずんでいる。』


2019/04/04

セノグラフィーの発想2 <幕を巡る考察1>


セノグラフィーの発想2

<幕を巡る考察1>

幕とパフォーミングアート。
緞帳、大黒幕、袖幕、東西幕、文字幕、霞幕、揚げ幕、引き割り幕、ドロップ幕、等々。
舞台には多くの幕が使われていて、またその呼称も用途により様々だ。

その背後に人やモノを隠し、また開けることにより隠れていたモノや人を暴き、出現させることができる。背景にして絵を描けば、ドロップ幕としてトロンプ・ルイユ(だまし絵)的な効果を出せる。幕はいつごろ舞台に登場したのだろうか?常日頃、舞台で幕に接している割にその出自を考えたことがなかったので、今回は数回に分けて幕について思いを巡らしてみたい。



<幕から覗く>

興味深い絵がある。
コメディア・デラルテの演劇空間や中世の野外仮設舞台を調べていたときのこと。
どの絵にも何らかの幕が描かれていて、その幕から必ず誰かが顔をだしているのだ。(1)
(1)Pieter Baltenによるフレーミッシュビレッジのフェスティバルの風景(部分拡大)


<仮設性と幕>
(1)はピーター・バルテンというオランダ・フランドル派の作品の一部。中世の野外仮設舞台の図象として必ず出てくる絵だ。
庶民の日常を切り取るブリューゲルのように、この絵は村のフェスティバルでの賭博や物売り、見世物等、広場の賑わいを描いている。
その一部に仮設舞台が描かれている。
こういった地域のフェスティバルに、演劇が上演されていたというのも興味深い。
(2)
(2)解説つき

内容は社会風刺劇。出稼ぎの亭主の留守の間にあろうことか女房が司祭と不倫。
その現場を帰って来た亭主が見つけてしまった!というシーン。
劇的で一番おもしろい瞬間だ。
この絵は中世の仮設舞台のイメージをとてもよく伝えている。

地上1.5m程の高い舞台とそれを立ち見で取り巻く観客。
その板張りの舞台はエプロンステージのように張り出していて三方から見ることができる。ステージの奥には幕で仕切りがあり、どうやら背後は楽屋のようだ。問題の、幕から顔を出している人物は次のシーンで使う椅子を準備するために幕を開けている様子。
このような仮設舞台は中世以降、ヨーロッパに多く流布していたらしく様々な絵が残されている。

次はルーヴァンでの仮設舞台の例など。(3)
(3)ルーヴァンで行われた『ソロモンの裁き』のための仮説舞台1594年

どれも都市や村の広場に仮設的な舞台を設える事によりパブリックスペースをパフォーミングアートの場に変容させている。
仮設で空間を創り出すというのもパフォーミングアートの特徴だろう。
建築のように何年もその造作物を持たせる事が優先ではなく、解体し移動し再度組み立てる事が可能であるような構造やデザインがセノグラフィー には必要とされる。
サステイナブルな発想だ。
その点からも幕というのは、携帯性にすぐれ柔軟で大きな面積を一瞬に変容させる事が出来る魅力ある素材といえる。

<パブリックスペースとパフォーミングアート>
仮設だから出来る事として演劇の“場”について考えてみたい。
先ほど見てきた絵はどれも、“広場”すなわちパブリックスペースで上演されている。
ロラン バルトが『表徴の帝国』で語るようにヨーロッパの場合、広場はまさに都市の中心でありそこにいけば全てに出会う事ができる充実した場なのだ。
ヨーロッパの都市の広場が持つ公共性がこのような演劇の形式を生み出したともいえる。

一方日本の場合は、“公界”としての河原や神社の境内といった領域がパフォーミングアートを育んだ。辺境・アジールとパフォーミングアートが深く結びついている。
それは村の外れや町の境にあり、神と出会うための境界となる場である。
社会からはみ出した河原者がパフォーミングアートの担い手であった。
幕の話しに戻ろう。

<コメディア デラルテと幕>
イタリアの仮面劇。コメディア・デラルテの仮設舞台の様子を描いた絵では幕はこうなる。
やはり、幕から誰かが顔を出している。(4)
(4)コメディアデラルテについて描かれた絵画
Karel Dujardin, Zanni, Scaramuccia e la ruffiana

舞台の様子だけでなく、観客として集まって来ている人々の表情や年齢や性別。そして周囲の景色まで細部にわたり緻密な情報が描きこまれている。
まさに記録絵画。ジャーナリズムのような側面をもつ。この絵は幕だけでなく様々な情報を与えてくれる。
先程の村祭りの絵とは異なりこれはどうやら街はずれで上演されているようだ。
パブリックスペースとパフォーミングアートの関係を別の角度から読み解く上でも興味深い絵だ。

図解してみたのが以下。(5)
(5)解説入り

<様々な境界と関わるアート>
この絵は古代ローマよりミムス・パントミムスとして引き継がれてきたパフォーミングアートの連綿と続くノマド的な伝統を見せてくれる。
そしてあらゆる“境界=ボーダー”のイメージがここに描かれている。

まず大きくは都市と農村部の境目、まさに都市の城門の一部を舞台の背景と見立て、その前に厚い板と樽で支えられた仮設のステージを張り出す。
都市の壁=既存の建物の外壁との境に幕を垂らす。そしてここでもやはり幕から誰かが顔をだしている!
観客は様々な社会階層とジェンダーを含む。階層の境目、観客と演者の境目、都市と非都市部の境目、様々な境界=ボーダーが描かれている。演劇というアートが多様性を受け入れそれにより支えられれてきたということがこの絵からわかる。

世界の境にあり人は演ずる。

<仮面、剣、楽器>
また、仮面、剣、楽器というアイテムにも注目したい。
これらは古代ローマより必ずパフォーミングアートのイコンとして描かれる題材であることも興味深い。

古代ローマのモザイクタイルに描かれた奴隷と笛吹きの仮面の図(6)

(6)ローマ時代の奴隷と笛吹きの仮面、ローマ、カピトリーノ博物館蔵
そしてコメディアデラルテにおける、仮面と剣と楽器。(7)


(7)部分拡大図

キャラクターと役者の境目を作り出す仮面。
生と死の境目を表象する剣。
ミューズ(芸能の女神)との関わりや欲望を表象し、ディオニソス的な世界を持ちながらも理知的で数学的な世界の両方の境界にまたがる音楽を表象する楽器。
どれもが、両義的な境界性を象徴している。

この中で幕はどのように作用するのか?
両義的で多様性を損なわず、世界を表象すること。幕は特に内と外を柔らかく遮断しながら繋ぐ、ゆるやかな境界をうまく作り出す空間装置でもあるわけだ。





2019/03/13

セノグラフィー ワークショップ情報!3/17@VACANT

こんにちは。
杉山 至です。
だいぶ春めいてきました。
ワークショップ(直前!)情報です。
3/17(日)@原宿VACANTでセノグラフィーワークショップを行います!
タイトルは『セノグラフィ入門〜絵本『ビビを見た!』から空間を創り出す〜』
です。
詳細はVACANTのHP
https://www.vacant.vc/single-post/scenography-ws
7月にKAAT(神奈川芸術劇場)で劇作家・演出家 松井 周さんが上演する作品に杉山も舞台美術で関わります。
https://www.kaat.jp/news_detail?id=1275
その上演作品の原作を軸に言葉と視覚・空間・セノグラフィの関係をワークショップで受講者とともに考えます。

直前ですが、まだまだ参加者募集中です!!

“セノグラフィー ってなに?”このブログの目次は以下になります。

http://itarusugiyama.blogspot.com/2018/10/blog-post_17.html

2019/03/10

セノグラフィー ワークショップ他情報 3/19

こんにちは。杉山 至です。
<オープンミーティング情報>

3/19(火)15時〜20時まで、NPO法人S.A.I.が主催している
『部屋を育てる』アートプロジェクトのオープンmtg
@横浜・関内 伸光ビル301SAIアトリエにて
開催します!
参加無料!
詳細は以下HPになります。
http://www.sai-npo.com/plan/615

みなさんの知恵を借りてセノグラフィー 的に
部屋のリノベーションプランを考えます。
飛び込み参加OKです!お気軽にご参加ください!


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2019/03/01

セノグラフィー ってなに?<スケッチ散歩5>関内スケッチ散歩

関内スケッチ散歩
2018/06/23

小雨降る中ワークショップはスタートした。
横浜・関内地区。
防火帯建築である伸光ビル301号室のリノベーション計画。
「部屋を育てるアートプロジェクト」として約3年にまたがるNPO法人SAIのアトリエを作り育てるプロジェクトの始まりだ。
今回はそのプレワークショップ。

SAIの杉山がナビゲーターとなり、横浜関内を拠点に活動している建築家・浅沼秀治氏をゲストに迎えてのスケッチ散歩ワークショップ。

参加者は学生が5名、大学を卒業したての六尺堂メンバーが1名、常盤ビル関係者が3名に、我々SAIスタッフ6名と記録で関わってくれる事になった"もてスリム"こと石神くんの総勢15名+幼児1名でのワークとなった。

前日からSAIの袴田くんと私で、長い間使われていなかったこの301号室のチリと雑菌を除去すべく、若干塩素中毒になりながらカビとショウジョウバエの地獄と化したトイレ掃除・キッチン周りの除菌を行う。仕上げにバルサンを焚いて一日おく。ダニやゴキブリにはやはりバルサン。
以前部屋を下見させてもらった時のカビ臭さと、なんだか身体が痒くなる感じは一掃できた、はず。

当日10時からスズケン(鈴木健介)と杉山がくる。だんだんと人が集まり11時までには濱崎くん、中村さん&ななちゃん2歳が参戦。
土足で上がる畳に違和感を感じながら、20年近く溜まった部屋のチリを拭いてゆく。

この湿度は雨のせいばかりでもなさそうだ、海の近く、埋め立てられた関内の地層、地理的要因とも関係しているはず。関内は蚊が多いという。

13時からワークショップがスタート。
杉山によるこのプロジェクトに関する概要説明のあと、スケッチワークショップの意義について考現学の今和次郎、吉阪隆正、丸山欣也先生を引き合いにセノグラフィーと景についてスライドで解説。



続いてゲストの浅沼氏が作ってくれた関内の成り立ちがわかる数種類の地図の資料を見ながら地域についてのイメージを膨らませる。
右上の写真は太平洋戦争 空襲の後の横浜・関内

そして、今回建築の視点からの重要なマップ。防火帯建築の分布図だ。



関内防火帯建築マップ 火災時の延焼を防ぐために交差点の角にコンクリートの建造物を配置した都市計画
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午後14時すぎ、いざスケッチ散歩へ!

ルートは関内の中央を東西に走る弁天通りの西の端、弁天橋まで行って関内の語源になった現在の関内駅の高架下にある川と橋と関所の痕跡を見て、フリータイムとなった。

この時点で15時、残り1時間で2〜3枚のスケッチと最低3〜4くらいの気になるポイントを採集しに皆、雨の中に散っていく。


私は先程皆で歩いたとき初めて遭遇した景色、弁天橋の船溜りからみる高層ビルと建造中の新市庁舎の鉄骨とクレーンが忘れられずそこに戻った。

川に架かる歩道橋の下で雨宿りをしながらスケッチ。
なんだか、30年前、21歳の時旅行した上海のバンドを憶い出した。
描いている内に遠い記憶が重なってくる。スケッチ散歩の醍醐味の一つ。
視覚と身体感覚が沈殿していた過去の記憶をかき混ぜる。


船だまから弁天橋を望む

極東の汽水域、19世紀の上海と横浜。規模は全くことなるが役割は似ている。ヨーロッパの列強による帝国主義が席巻した19世紀、小さな漁村だった横浜にも上海のような租界が出来上がる。
関内エリアはまさにその中心。
長崎の出島のように江戸期に埋め立てされた整然とした区画が今もいきている。さらに関東大震災、太平洋戦争という二度の廃墟化と米軍による接収時期を乗り越えて、それらの時層が重なり現在を作り出している。

関内の人に会うとよく聞くのが、ここはそうは言っても高々150年しか歴史がない、みな他所から来た人が作った街なんだ。という話し。
港町特有の来るもの拒まず、去る者は追わずのイキな精神が今も息づいている。

開港を迫られ急ごしらえで港を建設し税関所を作り、物流・金融の街として外国商社や銀行が支店を構える。西洋の文物を真似て、擬洋風という様式ができあがる。
通訳として連れてこられた中国人が中華街をつくる。
150年前日本が初めて欧米の帝国主義、資本主義と出会ったのがここ関内なのだ。

そんな事をつらつらと考えながら弁天橋から汽水域の港湾地区を挟んで、みなとみらいの超高層ビル群を眺めてスケッチをする。

6月の雨は降り続けている。

船溜りに一艘の船が戻ってきた。
新市庁舎建設のクレーンと建設現場は黒い塊となって槌音を響かせている。
弁天橋の上にはせわしなく人と車が行き交っている。
ランドマークタワーの上層階は遠くの雨空に消えている。


先ほどスケッチした場所を写真でも押さえる


今はいつだろう?
手際よく船を停泊させたあの人は、150年前からそれを繰り返していやしまいか。
港にはつい先程、異人とまだ見た事もない西洋の文物を乗せた蒸気船が入って来たかもしれない、、。
雨に打たれ続けている横浜・関内の原風景を観た気がした。

極東の外れの小さな漁村だった横浜の21世紀の風景。
川と海を物流と交流の拠点とするため船や橋でつなぎ、今は空とこのちっぽけな日本列島を所狭しと高層ビルが繋ぐ。ここは空と海と川と陸、日本とヨーロッパ、島と大陸の結節点だ。
横浜がこの150年で担ってきた人と人、モノと場所、環境との関わりの様々なイメージを凝縮させたゲニウスロキがこの船溜りの風景にはある。

西洋と出会った横浜の原風景。
関内弁天橋の船溜りのたもとで
その景色は2018年6月の雨に打たれている。


アトリエの近くに戻ってきてもう一枚スケッチを描く。常盤ビルと伸光ビルの空隙。アジアの裏路地のようなパイプや雑然としたオブジェクトがむき出しになり、道路とは違うセミパブリックな空間を作り出しいる。どこからか料理の匂いがしてきそうなそんな妄想に狩られる。(スケッチ図)
トキワビル2F廊下からの空隙を眺める
16時。
このワークショップのもう一つの重要なワークである妄想地図作りの為のマッピングを行う。
スケッチ散歩で発見したもの・ことを言葉にして参加者がマッピングしていく。


スケッチや写真で採集してきた要素を、色分けしながら関内の地図の上に皆でマッピングしていく。
構築物、サイン、出来事、自然物、オブジェクト(小物)、風景など。
空間を歩きながら、参加者がどのような視点で関内を見つめたかを可視化する。


ぱっと見、構築物系(赤色のふせん)が多い。また、関内のちょうどこのビルのエリア近くに見どころを多く発見したようだ。

参加者に自己紹介してもらいながら、発見した要素をスケッチと写真でプレゼンテーションしてもらう。





18時前にワークショップは無事終了。

何度も横浜は訪れているが、関内の見え方が変わった気がする。

今回のこのワークショップで体験し身体的知覚から発見した要素を“記憶の地図”や“身体的知覚マップ”として何とか表現出来ないか?

『部屋を育てるアートプロジェクト』次の段階で是非その方法を探いきたい。