ラベル 古代ギリシャ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 古代ギリシャ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018/10/17

セノグラフィーってなに?<歴史9>

『古代ギリシャのシーニックデザイン4』

今回は、前回に続き古代ギリシャ・ヘレニズム期の劇場のイメージをみていきたい。

ヘレニズム期のギリシャ劇場の復元イメージにこのようなのがある。(1)
(1)ヘレニズム期のギリシャ劇場の概念図(Wikipedia)

(2)ヘレニズム期のギリシャ劇場の復元図(Making the Scene)

神話や文化が改変されながらも古代ローマに引き継がれたように、このヘレニズム期のイメージがギリシャ劇場の完成された姿だとはいえないが、復元は残存する遺跡や資料に基づいている。今回もシーニックデザインに関わるポイントを見ていきたい。

ここで見ていきたいのは、劇場の形式や形態ではなく、あくまでセノグラフィーの発想に関わるポイントである事。美術史や建築史から抜け落ちてきたもの。あるいは残された台本やテキストを主体とした今までの演劇史が語ってこなかった、”歴史から抜け落ちている”パフォーミングアートのシーニックな発想である。

まず、(1)の復元図。ロゲインの部分が3層になり、巨大化しているのがわかる。こうなると古代ローマの劇場にもはや近い形だ。(2)の方がまだギリシャの空間性を保持している復元図といえる。それでも、細長い舞台(ロゲイオン)はかなり高くなり、その下の列柱の間には板絵がはめ込まれている。この板絵がピネークスと呼ばる。高い舞台のその背後、スケーネの部分には部屋のような壁龕が並んでいる。これをシロマータという。



<バラスケーネとピネークス>
パラスケーネとは、スケーネの両サイドとスケーネを形作る建築的な構造物である。その柱と梁で切り取られたフレームの中にピネークスという板に描かれた絵がはめられていた。
making the sceneでは、以下のようにある。(引用)
『初期のヘレニズム劇場において、プロスケニオンは数フィート毎の間隔で立っていた柱によって構成されていた。これらの柱は溝が掘られていて、ピネークスが後ろから挿入できるようになっていた。柱に刻まれた溝がその存在の根拠になっている。』(3)
(3)スケーネにはまっているピネークス(Making the Scene)

<シロマータ>
また、ある復元では、スケーネには7つくらいのシロマータと呼ばれる部屋のようなものがあり、その各々にピネークスがはめられていて、またシロマータは、一つの小さなプロセニアム劇場のように幕を伴った奥行きのある部屋であったとしている。(4)
(4)シロマータの復元案(Making the scene)

『ある学者はthyromata(シロマータ)はより効果的な視覚的イリュージョンをもたらすために創られたと考えている。また、thyromata(シロマータ)は演劇の冒頭では、背景幕(backdrop)と他の装飾が飾られており、幕が開いたあと、内側の(室内)のシーンを表すために機能したのではないかという。
pinakes(ピネークス)に描かれていたものは精巧でカラフルであったと、ある学者は言うが、それを裏付ける証拠は少ない。ある学者は以下のように類推している。演劇の幕開きにカーテンを伴い、その背後には個々の小道具、置き道具が準備されている場を隠す小さなプロセニアムアーチであったのではないかと。』(4)

<壺絵からわかること>
古代の劇場での上演の様子を探る上で、参考になるのが壺絵であったりモザイクタイルであったりする。特に南イタリアで発掘・発見されたこれらはその地域で演劇文化が盛んであったことを証明してもいる。(5&6)
(5)ナポリ考古学博物館所蔵
紀元前5世紀頃のギリシャ喜劇を描いたものとされている(Making the scene)
この壺絵は演劇のシーンを描いたものだと推測されている。様々な上演の情報を与えてくれる。ステージは階段8段くらい上がっていて、けこみには幕が張られ、上手袖にはパラスケーネにある登退場のための開口部が描かれている。その開口部は屋根を持ち、凝った軒飾りがあり、筋交いである頬杖も凝った形をしている。衣装もデフォルメされていて下手にいる老人は股間を見せている。

(6)『タウリスのオレステス』 Italotic bell crater  from  Campania,Capual Ⅰstyle,
紀元前4世紀中頃(Making the scene)

こちらの壺絵は、旅公演の仮設舞台を描いたものと推測されている。テント生地で仮設の舞台空間をつくりまるでプロセニアムのようにそれが額縁を構成している。

あるいはピネークスの一部かもしれない。上手、下手の構造物は屋根を持ち、人物の背後の小さな黒い三角の部分は、屋根を支える三角の頬杖のようにもみえる。(6)

また、別の壺絵には南イタリアのファルココミック(喜劇)の上演の様子が描かれている。(7)


(7)Bell Krater(Campanian red-figure ware)紀元前350-325
http://www.ngv.vic.gov.au/explore/collection/work/433/より
布でけこみが装飾された舞台はやはり数段上がっており、中央にはデフォルメした衣装と仮面をかぶった俳優が2人。一人は松明をもち、一人は弓を持っている。下手には段を降りたところにフルート奏者がいて、その背後にはやはり頬杖で支えられた屋根をもった登退場口かピネークスのような構造物が描かれている。

大英博物館所蔵の壺絵にも、似たような喜劇のシーンが描かれている。(8)

(8)Red-figured bell -krater (大英博物館所蔵)
http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details/collection_image_gallery.aspx?assetId=6123003&objectId=463873&partId=1
この壺絵の解説にはこうある。『南イタリアのコメディのシーンを見せている。俳優はケイロン(ギリシャ神話の半人半獣の神、ケンタウルスの一族)の癒しの神話をパロディにしている。ケイロンは癒しの神殿を表現したと思われるステージに無理やり登らされている(あるいは登るのを拒まれている)。』

この絵でも俳優はデフォルメされた衣装に仮面、そして下半身からは男根が見えている。

下手にはやはり頬杖に支えられた屋根をもった建物があり、舞台は数段上がっている。

次回は、古代ギリシャ演劇の視覚的な特徴から、そのイメージの広がりをセノグラフィー の観点からみてみたい。



2018/04/08

セノグラフィーってなに?<歴史8>



『古代ギリシャのシーニックデザイン3』


<古代遠近法>

今回は古代ギリシャ時代にすでにあったとされる絵画技法『遠近法』について考えてみたい。
前回こんな文章を引用した。

ウイトルウイウス『建築書』より

『〜実に、まずアテネではアガサルカスがアイスキュロスの指示に従って悲劇の舞台をつくり、それに関する覚書を残しました。それに動かされてデモクリトスとアナクサゴラスも同じ事項、すなわち不確かなものから確かな像が舞台の背景画の中に建物の外観を与え、凹凸のない平らな面に描かれたものが、あるものは引っ込みあるものは突出して見えるためには、ある場所が中心と定められた場合、描線は自然の理に従って眼の矢線と放射線の延長にどんなふうに対応すべきであるかについて書き記しました。 』


デモクリトスやアナクサゴラスが書き記した事は、平面の絵画を立体的にみせるための技法についてであり『Making the Scene』ではボスコレアーレやポンペイといった古代ローマの遺跡の壁画に、1500年後のルネサンス時代に発明された遠近法とは異なる『古代遠近法』の技術を見ている。(1)



(1)ボスコレアーレのvillaの壁画から
(消失点が垂中線上で何点かにまたがっている)(Making the Scene)

<古代遠近法とはなにか?>
ルネサンスの時代に発明された遠近法では消失点は1点である。光学的な暗箱(カメラ  オブ スクーラ)により壁面に投影された像は、ピンホールカメラで作り出された像と同じく、その消失点は一点に収束する。この現象を幾何学的に分析したのがルネサンスの遠近法だ。

ルネサンスに発明された遠近法の視覚的で幾何学的なルールはセノグラフィーの表現にとって、今も重要なルールとなっている。言い方を変えればこの視覚的な見方が我々の発想を未だに縛っているとも言える。その意味ではプロセニアムアーチという、いわば額縁のフレームの中の絵を作るという舞台美術の1つの表現形態は、ルネサンスにその始まりを持っている。詳細はルネサンスの回にまた見ていきたい。


ルネサンスの遠近法の消失点が一点であるのに対し、古代遠近法のそれは一点には収束しない。ボスコレアーレの壁画の透視線(オカルトライン)を見てみるとわかるようにその消失点は垂中線上で何点かにまたがっている。消失”点”が縦に伸びて消失”線”になっているのだ。

よくルネサンスの遠近法は科学的かつ数学的であり、古代遠近法はまだそれに到達していなかったといわれるが果たして本当にそうだったのだろうか?

ここでは、古代遠近法がどのように“見ため”をコントロールしたかを考えたい。

以下は遠近法に関する『Making the scene』からのもう一枚の絵と解説。(2)
(2)左①が古代遠近法の手法、右②がルネサンス遠近法に基づく手法での見かけのスクリーン。
⓵の古代遠近法では見かけのスクリーンが魚眼レンズのように湾曲している。(Making the scene)

以下『Making the scene』より引用

『そしてギリシャの作品のコピーであると考えられているボスコレアーレとポンペイの壁画の研究では、古代人は遠近法の方法を持っていたが彼らの方法はルネサンスのそれとは異なっていたことがわかる。

古代には図面の上部と下部はカーブしていた。(上図①)

そして それは2つの目が空間を見る方法を模倣している。平面図上で開発されたルネサンスの方法は、空間を見る1つの目に擬態している。古代の方法の結果は、中心の見た目がサイドのそれよりも高くなるという画像であった。サイドよりも中心を重要視したものだと言われている。


現代の目にとって、まるで彼らがカーブするレンズ(魚眼レンズ)を通して見るように、この方法は見ためのイメージをうまく表現している。

詳細を調べてみると、ボスコレアーレの絵画には、消失点がありこの使用を示しているが、しかしルネサンスのように水平線ではなく、これは上下の垂中線を重要視していた。

もしこの遠近法が劇場で使用されたならば、一点透視図法のルネサンスの背景のように、観客席の側面(中央でないポイント)から見た時の奥行きの視覚が歪んでいなかったであろう。』

ということは、古代遠近法の方が両目を使って人が見ている見ため”に近かったのではないか?

<ルネサンス遠近法との比較>

古代にも遠近法があったというのは、あまり聞いたことがなかった。あったとしても、ルネサンスの時代のような数学的に完成したものではなく、ただ人間の目はそのように対象を見るという習慣に従った未完成なもの、という印象であった。
しかし、この記述に出会いイメージが変わった。古代の遠近法の方がルネサンスの遠近法よりも人が自然に双眼で見たリアルな空間に近かったのではないか?

<ルネサンスの遠近法>
建築家ブルネレスキの発明とされるルネサンス遠近法は視点を固定した単眼視の表現だ。
以下はルネサンス時代の遠近法の描き方の図(3)
(3)A・デューラーによる遠近法の描きかた(Nel Segno Di Masaccio)


視点をある一点に固定しそこから対象物へと見えない線(オカルトライン)を引く。
このラインが眼前の対象とみかけのスクリーン(上の絵では中央のグリッド面)上に交わる点を捉え、それをテーブル上にある同サイズのグリッド上になぞっていく。
そうすると誰でも3次元の対象物や空間を2次元のレイヤに見事に描くことができる。

観察者の固定された視点からの3次元の世界を、みかけのスクリーン上にトーレスされた2次元として表現できる、というわけだ。

この世界を覗く目をレンズに置き換えその像を銀板に焼き付けたものが後の写真機であり一眼レフの原理だ。

確かに私たちは世界をこのように見ている、はずだ。

が、これはちょっと不思議な世界だ。
なぜなら、目をまったく動かさず片目で覗いた世界の捉え方だからだ。

<固定された視点と見回しの視点>

人は、当たり前だが眼球を常に動かし、2つあればその視差で立体感を意識しながら対象物を隅から隅まで追う。“見回し”という動作を常におこなっている。この“見回し”という動作が、空間を時間的にも捉える視覚を通した認知=動きを伴った知覚に関わっているわけだ。

では、固定された視点と見回しの視点ではなにが違ってくるのか?
固定された視点では実は視線の端で捉えた対象物は歪んで見えているという。
実際の一眼レフのレンズで実際に試してみると本当にそうなるのだが、しかし画家は描くときそのような科学的にリアルである表現を取って来なかったという。

引用『錯視の世界』より
『絵画は、遠近法の点で写真とは異なる道をたどった。遠近法は、眼を完全に固定したとき、(これは現実には起こりえないことだが)の見え方である。例えば、ある光景のなかで端にある球は、遠近法的には楕円に見える。これは、写真でもそうなる。しかし、私たちは、写真の場合には、楕円に見えることをレンズの性能の悪さのせいにして、レンズが周辺の光景をゆがめているのだと思っている。(これは誤りだ。)画家は、絵画の端でも球を円で表現する。しかし私たちは、それをおかしいと感じない。』

この事を確認すべくカメラが実際にはどう対象物をとらえるかを、球体を使って撮影してみたのが以下。(4&5)
(4)カメラのレンズの中央で捉えた球=球体をしている(ITRUS)
(5)カメラのレンズの端で捉えた球=横にのび楕円形になっている(ITARUS)

空間をスケッチするとき、実際に空間を見ながらその空間の様子を紙の上に描いていく場合と、対象の空間を一度写真で撮って、その写真を見ながら紙の上にトレースして作った作品とでは空間の奥行き感がかなり異なった作品になることがある。

上の実験のように、特に画面の周囲の方が歪むのが写真。実際単眼を固定した視界で捉えた世界は、そのようになっているはずだ。しかし、実際には人はそのようには、つまり写真が写した世界のようには空間を見ていない。

『見回す』ことにより自然と視覚矯正してしまっている

先ほど見た古代ギリシャの魚眼レンズのような遠近法では、端の方の空間を曲げて表現しているわけで、端の方を描く時はそちらに目のレンズの中心をずらしてナチュラルにみえるように修正し描いているというわけだ。この古代遠近法の方が人間が双眼で見た視覚の有り様に近い。


ルネサンスの遠近法にはない人間の目が動くという動きを伴った知覚的要素がここには入加わっている。



以下はルネサンス遠近法の一点透視図法による作図法で描いた、3Dの中に配置してみた球体。やはり中央の球体は丸いが、端に行くと楕円になってしまう。(6)

(6)ルネサンスが生み出した一点透視図法によるシュミレーション
端の画像は歪んでしまう。(ITARUS)
こちらの方が写真で撮ったよりもさらにその歪み具合がよくわかる。一点透視図法は確かに単眼で見た世界を科学的に解析して表現しているが、実際には人はそのようには世界を見ていない

<ピンホールカメラの世界>
ピンホールカメラは、ルネサンスの遠近法の発見と関係しているとよく言われいる。
暗い箱『カメラ オブ スクーラ』(7)に小さな一点を開ける、そこから入ってきた光が小さな穴によりレンズ効果をもち、部屋の壁面に像を結ぶ。
人間の眼球が像を映し出す原理と同じだ。しかし、この像はやはり端が歪んでいる。
(7)lLa Camera Osucura
カメラ オブ スクーラの原理(Nel Segno Di Masaccio)

ピンホールカメラの原理はこの暗箱と全く一緒だ(8)


(8)ピンホールカメラの原理




『ピンホールカメラは、針先のような小さい穴(ピンホール)を使って光を通し、一定距離の先にあるフィルムや印画紙などの感光材の上に像を映し出す仕組みのカメラです。
物体に太陽光などの光が当たると、色々な方向に光が反射されます(散乱)。ここで一つの箱を用意し、その外側にピンホールを置くと、箱の外側から来た光はピンホールによって一つの方向の光だけが通され、それ以外の光は箱によって妨げられます。そして箱の内側に感光材を置くと、その一つの方向の光が感光材上に像を結びます。これがピンホールカメラによって写真が撮れる原理です。』

また、この原理を応用してルネサンスの時代以来、画家によってはレンズを使い写真のように映った像をトレースして絵を描いていた、ということを分析した面白い本がある。
画家デビット・ホックニー『秘密の知識』だ。(9)
(9)『秘密の知識』 デビット・ホックニー

ホックニーはこの本の中で、ルネサンス後期の画家カラバッジョの絵を挙げて、それが光学機械を使用して描かれていると分析する。カメラの単眼視で捉えた写像をコラージュして一つの画布の上に貼り合わせているというのだ。

ルーベンスがカラバッジョのその絵を模写したものがあり、その二つの違いを詳細に分析している。


(10)カラバッジョ『キリストの埋葬』
(11)ルーベンスによるカラバッジョ『キリストの埋葬』の模写

以下、引用。(『秘密の知識』デビッド・ホックニーより)
『〜前略。ルーベンスはローマでカラバッジョの『キリストの埋葬』を目にし、これに感銘を受けた。そこで模写まで描いたが、興味深いことに、人物の劇的な仕種を変更して空間全体をより滑らかで自然なものに変えている。この模写をしたことによって、ルーベンスは映像の投影からある種の単純化が生じることに気づいたのではないだろうか。
 二次元は写しとれる。しかし三次元を二次元に「写しとる」ことはできない。私の主張の核心はそこにある。画家はつねに三次元の空間にあるものを見ているわけではなく、空間の把握に優るほど強い影響をおよぼす二次元の映像をみている。ルーベンスの模写とカラバッジョの原画を比べてみれば、ルーベンスの描く人物のほうが重量感に富み、生命力を感じさせることに気づくだろう。かれらには命が漲っているのに、カラバッジョの人物にはそれがない。重量感については、死んだキリストを見ればよい。それからルーベンスの模写では背後に立つ人びとに動きが感じられる。ところがカラバッジョでは、みなポーズをとっているにすぎない。ルーベンスは登場人物の周囲に空間を錯覚させる。カラバッジョはかれらの映像をカンヴァス上に積み重ねるばかりだ』

ピンホールカメラの原理を逆手にとった面白いアート作品を見たことがある。
画像が歪まない範囲で対象物を中心でとらえた写真を何枚も立体的かつ観察者の視点から等距離になるようにドーム状に貼っていく。一枚一枚には歪みがない。それをつぎはぎしてあるわけだ。カラバッジョが行った手法と一緒だ。
その写真を視線を追いながら見ていくとリアルな空間を見ている感覚に襲われる。短時間だが記憶の中で見えている対象物を繋いで一つの空間として認識し始める。

このアート作品が示しているように、人は瞬間瞬間に見た画像を記憶の中で結び、歪みを修正しながらダイナミックに世界を捉える。


人は空間を見回すとき、このアート作品のようなピンホールカメラの二次元の画像を空間に何枚もはり合わせるのと同じことをやっている。

瞬時にスクロールしながら記憶のイメージとして3次元画像を作っているのだ。
人間の空間認知にも時間が関与している。空間も動きの中で、物語のように把握されいているのかもしれない。

<遠近法からの脱出>
遠近法という数学的かつ光学的に完成された世界の見方に私たちはルネサンス以降ずっと囚われてきた。そしてその手法は、私たちのものの見方を固定し、それのみが正しい手法であり、正しい見方だと我々に思わせてきたわけだ。実際には古代遠近法のように人はものを見るとき、矯正しながら世界を認知しているはずなのに。

しかし、20世紀の初頭、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが始めた“キュビズム”という革命的な絵画手法は、固定された静止画のような世界の認識の仕方に一石を投じた。キュビズムとは、まさにアフォーダンスが提唱する“動きの中で知覚すること”を先取りしたアートである。

<ピカソの実験>
ピカソが行った実験はこうだ。
対象物を描く時、まるで昔のカメラの撮影のように、対象物を動かさず数分間露出することにより、一つの固定された視点で対象物を描くのではなく、対象物を数時間にわたり様々な角度の視点から得た描写のイメージを2次元の紙(スクリーン)の上にコラージュし重ねて描くという方法だ。

パブロ・ピカソ『パイプをふかす男』の解説にはこうある。(10)
(10)パブロ・ピカソ『パイプをふかす男』
『従来の遠近法では画家は一カ所にとどまり、しかも視線は対象の表面ではじき返されその背後のものは見えなかった。これが奥行きの特質である。ピカソは自ら移動しさまざまな角度から眺め記憶し、それをひとつの平面に配置することで、多角的な対象把握を可能にし、革命的な現実認識の方法を提示した。分析的キュビズムの代表作。』
『モダンアートの魅了』より

固定された時間の固定された視点からの逸脱。
ピカソはまさに人がどのように世界を見ているのかをもう一度見つめ直そうとした。(11)
(11)パブロ・ピカソ『座せる女』
顔に注目。二つの異なった方向から描いた顔をコラージュしている。

この絵に透視線(オカルトライン)を加えるとこんな感じになる。(12)
(12)上の絵に透視線(オカルトライン)を入れたもの
やはり一点には収束していない
描く視点を移動させ、多視点から描いているので消失点は一点に収束していない。
一見、歪んでいて、子供が描いた間違った遠近感のようであるが、それは近代の遠近法から見てのことであり、ピカソは、ルネサンス以降“人は空間をこう見ている”と結論付けてきた近代の遠近法的なものの見方・表現に異議を唱え、もう一度人間の知覚から発想し空間認識の原初に立ち戻って絵画を描いたといえないか。


古代遠近法の話に戻ろう。
<エンタシス>
古代ギリシャの遠近法は、先に見たピンホールカメラのアート作品と同じことを行っている。視線の端の方にあるものは歪んでいく。それを矯正するために曲面レンズのように空間を捉え視覚補正した画像を2次元の上に描く(図2参照)。

垂中線を意識したのは、人間の目が平行に横についていることに由来する。人の水平方向の視野の広がりの角度は垂直方向のそれよりはるかに広く、まさにギリシャ劇場の客席の開きが220度であったように、人は水平方向の視覚は補正しやすい。
一方、垂直方向の視野は狭い。見慣れない超高層ビルを近くから見上げると、上が異常に膨らんでみえることがあるがそれはこのためだ。

エンタシスというギリシャ人が円柱の中心部をふくらませて表現したのもこの遠近法の応用と考えることができる。(8)

(8)シシリア島 アグリジェントの遺跡にある古代ギリシャ神殿の一部
柱の中央部での膨らみと上部での減衰に注目(ITARUS)

例えば実際に舞台で柱を立てるとき、どこから見ても垂直に綺麗に立っているようにするのはとても難しいが柱の上の方を細くすると多少『立ちが悪く』てもまっすぐ立っているように見える。

古代ギリシャの遠近法。これは未完成の手法ではなく、人間は本来そのように空間を見ているということを意識して作り上げた手法なのではないか?

両眼を使った“立体視”“動きをともなった知覚”を意識し視覚矯正をほどこしたもの。それが古代ギリシャの遠近法ではないだろうか。

ルネサンスの遠近法に比べ、確かに科学的・数学的ではないかもしれないが、実は人間が対象物を観るときの意識や知覚の変化精神的な感覚等を意識した、現代の科学ではまだ扱いきれない別の思想・方法論であったといえないだろうか。


2017/05/03

セノグラフィーってなに?<歴史7>

『古代ギリシャのシーニックデザイン2』



<歴史4>で古代ギリシャのシーニックデザイの一つとして、デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の登場のためのメカーネについて触れた。<歴史4>参照
今回はセノグラフィーの語源ともなっているスケーネおよびロゲイオン(ステージ)の役割と発想をみていきたい。ロゲイオンという舞台エリアの誕生に伴い、その背後を担う部分が現れる。それをスケーネという。背景やドロップ幕としとの、ある種2次元的な面=スクリーンの原形がここにある。

ギリシャ劇場の原初の形態がどのようであったのかは、やはり想像の域をでないが、時代がくだりヘレニズム期のギリシャ劇場の形は以下のようだ。
ウイトルウイウス『建築書』より(1)

(1)ヘレニズム期のギリシャ劇場
スケーネ(スカエナ)とロゲイオンに注目
オルケストラの後方には、ステージの役割をになったロゲイオンとその背後の壁面と空間であったスケーネ(スカエナ)がある。スケーネは列柱を伴っている。ロゲイオンの奥行きは2~3mしかないが間口は広い。ロゲイオンの上には2~3人の俳優が立ち、オルケストラを占めるのはコロス。舞台上は廊下のように横に広いわりには人が少なく、閑散とした状態だったと思われる。

セノグラフィーの歴史を考える上で重要な参考図書である『Making the Scene』では、ディオニソスの劇場(アテネ・パルテノン神殿下の劇場)の復元図として、ロゲイオンやスケーネがまだなかった頃の劇場空間の原型の一つとして、以下のような図を挙げている。(2)
(2)ディオニソス劇場の復元平面図(Making the scene)
円形に広がるコーラ(コロスの場)を中心に
観客のエリアは図の上方にある、舞台側には上手の方に古い神殿がある


もう一枚のイラスト(3)
(3)上記の考古学的な発掘要素を元にイメージ復元した図(Making the scene)

コロスがいた場所、中央の円形部の背後には祭壇と神殿がある。
上手のスロープからの導線が、奥行きのない間口の広いステージへのではけ口になっていったと考えられる。
考古学的な調査に基づいた復元であろうと思われるが、現存するカタチへの整合性を意識した復元イラストという感じもある。(中央に演台のようなステージまである。またオルケストラの中心に祭壇がある。)

そして、もう少し時代が下ったころの復元イメージ図がこれ。(4)

(4)小さなステージ(ロゲイオン)と上手、下手に不思議な穴とドーム等(Making the scene)

この図に従えば、神殿の要素である柱とその間が作りだす建築的単位が、スケーネとなり、神殿の基壇がロゲイオンとなったとみる事ができる。祭壇と神殿の1セットの発想がそのまま、オルケストラの背後に持ち込まれたようだ。(舞台は擬似神殿?)
不思議な要素は下手にあるシーンハウスと上下にある数個の穴だろう。
(穴はScenic holesと書かれている)
『Making the scene』の解説にはこうある。

『多くの学者は、初期のフェスティバルでは舞台奥は演劇的な行為の為に使われなかったと考えている。パフォーマンス·スペースの近くがスケネまたはシーンハウスであった。文字通りの意味は「小屋」または「テント」を意味する。そこは俳優がマスク(あるいは衣裳)をチェンジする為に退場する場所でキャラクターを捨て他の者に換わる場所であった。スケネは、多くの観客の視線の先にある環境をブロックするほど高くはなかった。』

<ロゲイオンの成立>
ロゲイオン(ステージ)が成立した背景には、戯曲の構造の変化が関係していると言われている、ギリシャの三大悲劇詩人、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス。
おおざっぱだが、三人の戯曲のスタイルの違いにギリシャ演劇の変遷が重なっている。

・アイスキュロス(BC525-456)
  • テーマ=人と神の関係
  • 主な作品=オレステイア3部作
  • 2人目の演者の登場(それ以前は俳優1人とコロス)

・ソフォクレス(BC496-406)
  • テーマ=無情な運命の中の人間の苦しみと知恵
  • 主な作品=オイディプス、アンティゴネー
  • 3人目の演者の登場
  • skenographia(スケノグラフィア→セノグラフィー)を最初に導入したとされる(アリストテレスによる)

・エウリピデス(BC485-406)
  • テーマ(人間心理の観察と描写)
  • 主な作品(トロイアの女、バッカスの信女)
  • デウス エクス マキナ(機械仕掛けの神)を多用

ギリシャの演劇は、大ディオニューシア祭において、スポーツ等の競技と同様に競技形式で行われ、同じ主題や題材をいかに描くかが競われ、多く賛同を得たものがその栄誉を称えられた。大衆・群衆が評価し勝敗が決まるということが、ギリシャ演劇の方向性と変遷に大きく作用していたわけだ。


<スケーネの役割>
当初、演じられる内容はコロスによる歌・踊り・語りを伴った祭儀的要素が強かったが、時代が下ると共にコロスの重要性は減り、主題は人間を中心とした、よりドラマ性の強いものに移る。それに伴い2~3の登場人物による空間への集中力や音響効果を増す為に、ロゲイオンというステージとスケーネという背景が必要とされたのかもしれない。(5)
(5)スケーネと両翼の部分(パラスケニオン)を伴ったイメージ(making the scene)

この図も『Making the scene』からの抜粋。上のイラスト同様ディオニソスの劇場の姿。
この図を拡大してみるとわかるが、スケーネの上に人がいる。
それらに関しては、以下Making the sceneからの抜粋(翻訳はNPO/S.A.I.)


『学者は通常、スケネは紀元前458年までは劇的な行為において役割を果たしていなかったと仮定している。アイスキュロスのアガメムノンの冒頭では、物見の男が宮殿の屋根の上に腰掛けながら自身をこう表現しているシーンがある。』

--------------------
神様方にもお願いしてきたことよ、こんな骨折りはもう真っ平だ。

まる一年の間も見張りをつづけ、アトレウス家の館の屋根に抱かれて、

犬みたように、臥せるなどというのはな。夜出る星の数々も、

もうすっかり寝込んでしもうたわ。

しかもまだ松明の合図を見張り続けてゆくとは。

トロイアの郷からの報せをもたらす火の櫂(かが)よい、

攻め取ったという報せをな。
--------------------

『これが劇場の構造が舞台美術の要素として使われていることを示唆する現存する劇の中の最初の具体的な引用である。これがそのような構造の最初の使用であったが、それがスケーネであったかは確認できていない。』


<スケノグラフィア>
アリストテレスはskenographia(スケノグラフィア→セノグラフィーの語源)を最初に導入したのは、古代ギリシャの三大悲劇詩人ソフォクレス(BC496-406)だとしている。
スケノグラフィア。それは単に背面を飾る絵だけではなく絵や立体・空間等、スケーネにある種視覚的な特徴ある表象を与えたということだろうか。


<スケノグラフィアの最初の形?>
『Making the scene』では、ソフォクレスのスケノグラフィアの使用より前に、アイスキュロスの作品において、アテネの画人アガサルカスが絵を描いていたということをウイトルウイウスの『建築書』から引用している。(第7書序11より)


『~実に、まずアテネではアガサルカスがアイスキュロスの指示に従って悲劇の舞台をつくり、それに関する覚書を残しました。それに動かされてデモクリトスとアナクサゴラスも同じ事項、すなわち不確かなものから確かな像が舞台の背景画の中に建物の外観を与え、凹凸のない平らな面に描かれたものが、あるものは引っ込みあるものは突出して見えるためには、ある場所が中心と定められた場合、描線は自然の理に従って眼の矢線と放射線の延長にどんなふうに対応すべきであるかについて書き記しました。 』

実際にスケーネに描かれた背景画すなわちスケノグラフィアがどのようなものであったかは定かでないが、ローマ時代に描かれた壁画にそのイメージを探ることができる。

次回、古代遠近法について見ていきながらスケーネに描かれた絵や空間がどのようであったかを探っていきたい。





参考文献
『making the Scene』
ウイトルウイウス『建築書』

2017/04/17

セノグラフィーってなに?<歴史6>

『迷宮図と古代ギリシャ劇場、あるいは、迷宮舞踏とサミエル・ベケットの『クワッド』』


前回、アリアドネの糸と迷宮図を巡り、セノグラフィーとコレオグラフィーの関係を探ってみた。今回は、迷宮図の作図方法から古代ギリシャ劇場との関係性、その空間に隠された正方形の秘密についてサミエル・ベケットの『クワッド』の図式等から探ってみたい。
(サミエル・ベケット)


迷宮図をもう一度みてみよう。(1)
(1)クレタ型迷宮図(Wikipedia)

<迷宮図のイメージ>
最初に迷宮図を見た印象は、
  • 迷路とは違う
  • 規則性があるが、正円ではなく歪んだ円の形をしている
  • フリーハンドでしか描けないのか?
  • 古代の人は、コンパスのような単純なもので描いたのではないか?
といったことだった。

そして、なんだか脳の図のようだなとも思った。(2)
(2)脳の断面(Wikipedia)

迷路の回路を思考の回路だと思うと、極端に右に振れた後、また左に振れる。右脳と左脳を行き来する思考のようだと。
入り口と出口のあたりはちようど脳幹にあたる。
図式化され空間化された思考。生と死を反復する構図。
迷宮をたどる者は左右だけでなく上下、内外に何度もゆさぶられる。

<迷宮舞踏・鶴の舞踏>
迷宮舞踏と呼ばれる鶴の舞踏の動きを想像してみる。
アリアドネの糸というコレオグラフィーに従い動く人々の軌道である。
円弧の部分では、フォークダンスのように接する人と逆方向にすれ違うが、中心の下、脳でいえば脳下垂体の部分では平行に左右対称に移動する。(3)
(3)アリアドネの糸の動き(矢印が進む方向)(ITARUS)

この振り付けはなんだろうか?いつかワークショップで実際にこの動きをシュミレーションしてみたい。
ヨーロッパに古くから伝わりフォークダンスの原型とも言える、メイポールの祭りのダンス。これも迷宮の舞踏のイメージと重ならないか。(4)
(4)Maypole Dance
http://occultamerica.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10 より


中央に柱を立てそこから伸びたロープ(紐)を持ちながら柱の周囲を巡る。
ここにもサークルという迷宮の図式とロープ(リボン)というアリアドネの糸のイメージが投影されている。


<南方曼荼羅>
知の巨人、南方熊楠の絵に不思議な一枚がある。南方曼荼羅と呼ばれる絵だ。(5)
(5)南方曼荼羅図


迷宮図はこの絵とも似ていると思ったが、よくよく見直してみると熊楠の絵は放射状にも線が出ていて、曲線と交わったりしている。そしてそこに思考の交差点・翠点というものを構想しているらしい。こちらの図式の方がより脳みそに似ている。あるいは迷宮図は正面から見た脳のイメージ。南方曼荼羅は側面から見た脳のイメージ。

南方曼荼羅図とは?
http://japanese.hix05.com/Minakata/minakata105.mandara.htmlより引用
この図は、民俗学者の間で「南方曼荼羅」と呼ばれているものである。この奇妙な図を南方熊楠は、土宜法龍宛明治36年7月18日付書簡の中で描いて見せた。この書簡の中で熊楠は、例の通り春画やらセックスやらとりとめのない話題に寄り道をした挙句に突然仏教の話に入るのであるが、この図はその仏教的世界観(熊楠流の真言蜜教的な世界観)を開陳したものとして提示されたのであった。(中略)
熊楠は、これらの線は事理を現しているという。事理とはものごとの筋道と言った程度の意味に考えてよい。この世界と言うものは様々な事理からなっている。それらの事理は互いに交差しあったり、あるいは相互に離れていたり、もつれあったり、絡みあったりしている。図でいえば、各々の線の配置が様々な事理の布置を現しているわけだ。
たとえば図の(イ)という点では、多くの線が交叉している。熊楠はこれを萃点(すいてん)と呼んだ。萃点は多くの事理が重なる点だから、我々の目につきやすい。それに対して(ハ)の点は二つの事理が交わるところだから、萃点ほど目立たぬが、それでも目にはつきやすい。(ロ)の点は(チ)、(リ)二点の解明を待って、その意義が初めて明らかになる。(ヌ)はほかの線から離れていて、その限りで人間の推理が及び難いが、それでも(オ)と(ワ)の二点でかろうじて他の線に接しているところから、まったく手掛かりがないわけではない。だが(ル)に至っては、ほかの線から完全に孤立している。したがって既に解明済みの事柄から推論によって到達するということが困難なわけである。
このように熊楠は、世の中の成り立ちを事理の組み合わせと見、それを人間の認識能力とのかかわりにおいて、体系づけたのであった。


まさに、思考のイメージを図式化したものだ。
弘法大師・空海が曼荼羅のイメージを立体空間で表象したように、観念、思考をビジュアルアナロジーとして表象する系譜がここにもある。
南方曼荼羅はしかし、曲線の他に多くの放射的な線があり、交わるポイントで脳のシナプスが繋がるように様々な思考やイメージが交わっている。

一方、クレタ型迷宮図を歩くアリアドネの糸のラインは、交わらない。一筆書きのラインだ。(6)
(6)アリアドネの糸のラインは一筆書き(ITARUS)
しかし、地(ネガ)である迷宮図の方は中央近く、脳幹的な場所で一カ所交わっている。
そしてアリアドネの糸である舞踏のラインは一筆書きの一本の線であるのに対し、迷宮図の方は2本の線で構成されている。(7)
(7)迷宮図の2本のラインと交差ポイントに注目(ITARUS)

このクロスするあたりに、迷宮図を紐解くヒントがありそうだ。

<迷宮図の描き方>
前回も引用させていただいた、中島 和歌子氏の『迷宮(Labyrinth)図像群に関する一考察』に迷宮図の描き方というイラストが載っている。
まずはこれを頼りに描いてみる。(8)
(8)クレタ型迷宮図の描き方
『迷宮(Labyrinth)図像群に関する一考察』中島 和歌子より

以下、この図を参照に私なりに描いてみた時の描き方。

1/中心となるクロスポイント(正十字)を描く。
2/そのクロスポイントが内接する一辺がaの長さの正方形を描く。
3/上辺の中心から1/8だけ左に行った点を中心1とした半径1/8aの円弧を描いていく。
4/中心1から半径1/4aだけ足されていく円弧を描いていく。
(9)

(9)迷宮図の描き方NO.1

5/正方形の各々の頂点(中心2~5)からも円弧を描く。(円弧の半径が迷宮の道幅となる。)(10)
(10)迷宮図の描きたNO.2



描いてみて、面白いなと感じたのは、これだけ曲線の集合なのに四角形がベースにあるということ。

始めに正方形が必要なのだ。
それを言わば手掛かりにして各頂点を中心とした円弧と、上辺の中心から一辺の長さの1/8移動した点を中心とした円弧の集まりで出来ている。前回示した図のように。

<方円の関わり>
迷宮図の円弧の規則性の根拠は、四角形の頂点との関わりで現れるのだ。
ここにもネガとポジの関係性がある。
前回触れたように迷宮図=ネガは、アリアドネの糸のライン=ポジを出現させる隠された空間装置(セノグラフィー)であり、迷宮図として現れてくるのは円弧の集合だが、
その背後にある形、いわば#オカルトラインは正方形なのだ。

#オカルトラインとは?
透視線と呼ばれるもので、実際には見えない線。遠近法等を描く時の隠れた線の事。
一点透視図法の場合、観察者から対象物までの透視線が中央の消失点に集まる。その透視線を指す。
見えない”糸”すなわちゴーストに操られ、人間の視覚空間が出来上がっているというイメージが伝わってくる言葉だ。


<隠された四角形>
サミエル ベケットの作品に『クワッド/Quad』というのがある。
四角形の4つの頂点にそれぞれ人がいて、四角形の辺と対角線上を動くという作品だ。
コンテンポラリー・ダンサー/山田 せつ子さんがある作品でこのイメージを使用していた。

これには単純な2つのルールだけがある。
ひとつは、頂点に到着したら、必ず45度の角度で左にいく。
もうひとつは、対角線上ですれ違う時必ず右に避けて衝突は退避する。(11)
(11)『クワッド』の歩行順路図
http://web.waseda.jp/rps/webzine/back_number/vol021/vol021.htmlより


この作品はこの単純な2つのルールだけで、言わば舞踏のように振り付け(コレオグラフィー)られた演劇なのだ。
俳優の動きが空間の規則性を出現させる。
これもひとつの『迷宮舞踏』と言って良いのではないか。
『クワッド』は、迷宮図の隠れた線、オカルトラインのトレースなのかもしれない。


<ギリシャ劇場の220度と迷宮図>
迷宮図とギリシャ劇場を重ねてみる。
1回目と2回目で扱ったように、ギリシャ劇場の原初には、ダイダロスのいくつかの神話が関わっている。
迷宮と劇場は離れがたくその根源に共通の根をもっている。

重ねてみると中心近くで絶妙にパフォーマーの動きが変化しダンスのムーブメントの規則性の変わるポイントと220度のラインが重なる。(12)
*古代ギリシャ劇場の図式については<その4>を参照。
(12)古代ギリシャ劇場と迷宮図の関係


アリアドネの糸に導かれた動きは実は正方形の内部では、左右対称の動きになり、円弧の部分でのすれ違う動きとは異なる。(13)
(13)アリアドネの糸(鶴の舞踏)の正方形内での動き→左右対称性に注目

1回目で見てきたように原初のパフォーマンス空間・コーラが完全な円だったとすれば、
円弧の集合である迷宮を形作るラインとその振り付けが、客席の限界線の角度と関わりがあってもおかしくない。正方形が見えないラインで客席が限界付けられている。

そして、ギリシャ劇場のオルケストラの部分、あの完全な円形の背後には正方形のオカルトラインがあるのかもしれない。
そして、迷宮舞踏は実は円に隠された四角形に規則づけられており、ベケットの作品『クワッド』も、反転したギリシャ劇場のセノグラフィーを浮かび上がらせる『もうひとつの迷宮舞踏』と言って良いのではないか。


< ウィトルウイウスの語るギリシャ劇場>
ギリシャ劇場のあの円形の背後に正方形が隠されている?というのには訳がある。
古代ローマの建築家・ウィトルウイウスの『建築書』にギリシャ劇場の作図法の項目があり、そのことが書かれているのだ。
ギリシャ劇場の形態の背後には、1回目で見てきたような環境、身体の知覚からのプランニングの他に星座との関わりや数学的法則性があるという。(図14と解説)
(14)ギリシャ劇場の作図の方法

ウイトルウイウス建築書 第7-1より
 『ギリシャ劇場ではすべてがこれと同じ手法でつくられるべきでない。というのは、まず底の円において、ラテン劇場(ローマ劇場)で四つの正三角形の稜が円周線に接しているように、ギリシャ劇場では三つの正方形の稜が円周線に接し、そしてその正方形の一つの辺はスカエナに最も近く、それが円弧を切り取り、その線上にプロースカエニウムの縁が指定されるからである。そして、この円弧の端にこの方向と平行な線が引かれ、それにフローンスカエナが定められる。オルケーストラの中心を通ってプロースカエニウムの方向に線が引かれ、それが左右で円周線を切り取るところ半円の両角に中心点が印しづけられる。そして右にコンパスが置かれて左までの間隔で円がプロースカエニウムの左の部分に向かって描かれる。同じく、コンパスが左の角に置かれてプロースカエニウムの右の部分に向かって円が描かれる。』 2 『こうして、ギリシャ人は3つの中心を使ったこの作図法によって(ラテン劇場よりも)もっと広いオルケーストラともっと後退したスカエ ナともっと狭い幅の高座を持つ。かれらはこの高座を悲劇および喜劇の俳優たちがこのスカエナで演技するという理由で、ロゲイオンと呼 ぶ。・・・・』



このギリシャ劇場の作図の前にウイトルウイウスはラテン(ローマ)劇場の作図の方法を示している。(図15と解説)
(15)ラテン(ローマ)劇場の作図の方法
ウイトルウイウス『建築書』第6章-1より
『劇場そのものの形は次のように造られるべきである。底面の周に予定されれいる大きさの円周線がコンパス(の一脚)を中心に置いて引かれ、その中に円の縁に触れる四つの等辺三角形が等間隔に描かれる。これによってはまた天空12座の星学においても音楽から借りた諸星の関係が割り付けられる。これらのさん関係のうちその辺がいちばんスカエナに近いこのが円の弧を切り取るあたり、そこにスカエナの前面が限られる。そしてこの場所から中心を通って平行線が引かれ、それがプロスカエニウムの高座とオルケストラの場を区分する。』


<四大元素・五大思想と立体>
このように古代の劇場には宇宙の原理と幾何学的、図象的発想が関わっている。
球体やプラトン立体とよばれるような単純な多面体と宇宙の原理を関係づける思想は、ギリシャだけでなくインド仏教や中国の宇宙観にもある。

方形、円形、三角形等単純な立体を重ねた五輪の塔と五大思想、曼荼羅図、仏塔(ストウーパ)の意味については、『空海 塔のコスモロジー』という面白い本があり、また別の回で触れたい。

ここでは最後2つほど、他に迷宮の図象的な類推(ビジュアル アナロジー)として考えられるものをあげたい。

一つはダンテが『神曲』で構想した地獄。(16)
(16)ボッティチェリ作 ダンテ『神曲』の地獄の図 1490 (Wikipedia)


またインドではこの正方形版の階段井戸というのがある。(17)
(17)インド 階段井戸の例
http://www.wastours.jp/tour/pickup/asia/1201_01.htmlより

これらの例は迷宮の図式を平面だけでなく、上下方向の立体としてもも展開した空間構想といえるだろう。
そしてどれもがやはりそこに行き、引き返して来るというムーブメントやパフォーマンスと関わっている。

方形と円。単純な形体がパフォーミングアートの原初に関わっていることだけは確かなようだ。



参考文献 ウイトウイルス「建築書』