2017/05/03

セノグラフィーってなに?<歴史7>

『古代ギリシャのシーニックデザイン2』



<歴史4>で古代ギリシャのシーニックデザイの一つとして、デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の登場のためのメカーネについて触れた。<歴史4>参照
今回はセノグラフィーの語源ともなっているスケーネおよびロゲイオン(ステージ)の役割と発想をみていきたい。ロゲイオンという舞台エリアの誕生に伴い、その背後を担う部分が現れる。それをスケーネという。背景やドロップ幕としとの、ある種2次元的な面=スクリーンの原形がここにある。

ギリシャ劇場の原初の形態がどのようであったのかは、やはり想像の域をでないが、時代がくだりヘレニズム期のギリシャ劇場の形は以下のようだ。
ウイトルウイウス『建築書』より(1)

(1)ヘレニズム期のギリシャ劇場
スケーネ(スカエナ)とロゲイオンに注目
オルケストラの後方には、ステージの役割をになったロゲイオンとその背後の壁面と空間であったスケーネ(スカエナ)がある。スケーネは列柱を伴っている。ロゲイオンの奥行きは2~3mしかないが間口は広い。ロゲイオンの上には2~3人の俳優が立ち、オルケストラを占めるのはコロス。舞台上は廊下のように横に広いわりには人が少なく、閑散とした状態だったと思われる。

セノグラフィーの歴史を考える上で重要な参考図書である『Making the Scene』では、ディオニソスの劇場(アテネ・パルテノン神殿下の劇場)の復元図として、ロゲイオンやスケーネがまだなかった頃の劇場空間の原型の一つとして、以下のような図を挙げている。(2)
(2)ディオニソス劇場の復元平面図(Making the scene)
円形に広がるコーラ(コロスの場)を中心に
観客のエリアは図の上方にある、舞台側には上手の方に古い神殿がある


もう一枚のイラスト(3)
(3)上記の考古学的な発掘要素を元にイメージ復元した図(Making the scene)

コロスがいた場所、中央の円形部の背後には祭壇と神殿がある。
上手のスロープからの導線が、奥行きのない間口の広いステージへのではけ口になっていったと考えられる。
考古学的な調査に基づいた復元であろうと思われるが、現存するカタチへの整合性を意識した復元イラストという感じもある。(中央に演台のようなステージまである。またオルケストラの中心に祭壇がある。)

そして、もう少し時代が下ったころの復元イメージ図がこれ。(4)

(4)小さなステージ(ロゲイオン)と上手、下手に不思議な穴とドーム等(Making the scene)

この図に従えば、神殿の要素である柱とその間が作りだす建築的単位が、スケーネとなり、神殿の基壇がロゲイオンとなったとみる事ができる。祭壇と神殿の1セットの発想がそのまま、オルケストラの背後に持ち込まれたようだ。(舞台は擬似神殿?)
不思議な要素は下手にあるシーンハウスと上下にある数個の穴だろう。
(穴はScenic holesと書かれている)
『Making the scene』の解説にはこうある。

『多くの学者は、初期のフェスティバルでは舞台奥は演劇的な行為の為に使われなかったと考えている。パフォーマンス·スペースの近くがスケネまたはシーンハウスであった。文字通りの意味は「小屋」または「テント」を意味する。そこは俳優がマスク(あるいは衣裳)をチェンジする為に退場する場所でキャラクターを捨て他の者に換わる場所であった。スケネは、多くの観客の視線の先にある環境をブロックするほど高くはなかった。』

<ロゲイオンの成立>
ロゲイオン(ステージ)が成立した背景には、戯曲の構造の変化が関係していると言われている、ギリシャの三大悲劇詩人、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス。
おおざっぱだが、三人の戯曲のスタイルの違いにギリシャ演劇の変遷が重なっている。

・アイスキュロス(BC525-456)
  • テーマ=人と神の関係
  • 主な作品=オレステイア3部作
  • 2人目の演者の登場(それ以前は俳優1人とコロス)

・ソフォクレス(BC496-406)
  • テーマ=無情な運命の中の人間の苦しみと知恵
  • 主な作品=オイディプス、アンティゴネー
  • 3人目の演者の登場
  • skenographia(スケノグラフィア→セノグラフィー)を最初に導入したとされる(アリストテレスによる)

・エウリピデス(BC485-406)
  • テーマ(人間心理の観察と描写)
  • 主な作品(トロイアの女、バッカスの信女)
  • デウス エクス マキナ(機械仕掛けの神)を多用

ギリシャの演劇は、大ディオニューシア祭において、スポーツ等の競技と同様に競技形式で行われ、同じ主題や題材をいかに描くかが競われ、多く賛同を得たものがその栄誉を称えられた。大衆・群衆が評価し勝敗が決まるということが、ギリシャ演劇の方向性と変遷に大きく作用していたわけだ。


<スケーネの役割>
当初、演じられる内容はコロスによる歌・踊り・語りを伴った祭儀的要素が強かったが、時代が下ると共にコロスの重要性は減り、主題は人間を中心とした、よりドラマ性の強いものに移る。それに伴い2~3の登場人物による空間への集中力や音響効果を増す為に、ロゲイオンというステージとスケーネという背景が必要とされたのかもしれない。(5)
(5)スケーネと両翼の部分(パラスケニオン)を伴ったイメージ(making the scene)

この図も『Making the scene』からの抜粋。上のイラスト同様ディオニソスの劇場の姿。
この図を拡大してみるとわかるが、スケーネの上に人がいる。
それらに関しては、以下Making the sceneからの抜粋(翻訳はNPO/S.A.I.)


『学者は通常、スケネは紀元前458年までは劇的な行為において役割を果たしていなかったと仮定している。アイスキュロスのアガメムノンの冒頭では、物見の男が宮殿の屋根の上に腰掛けながら自身をこう表現しているシーンがある。』

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神様方にもお願いしてきたことよ、こんな骨折りはもう真っ平だ。

まる一年の間も見張りをつづけ、アトレウス家の館の屋根に抱かれて、

犬みたように、臥せるなどというのはな。夜出る星の数々も、

もうすっかり寝込んでしもうたわ。

しかもまだ松明の合図を見張り続けてゆくとは。

トロイアの郷からの報せをもたらす火の櫂(かが)よい、

攻め取ったという報せをな。
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『これが劇場の構造が舞台美術の要素として使われていることを示唆する現存する劇の中の最初の具体的な引用である。これがそのような構造の最初の使用であったが、それがスケーネであったかは確認できていない。』


<スケノグラフィア>
アリストテレスはskenographia(スケノグラフィア→セノグラフィーの語源)を最初に導入したのは、古代ギリシャの三大悲劇詩人ソフォクレス(BC496-406)だとしている。
スケノグラフィア。それは単に背面を飾る絵だけではなく絵や立体・空間等、スケーネにある種視覚的な特徴ある表象を与えたということだろうか。


<スケノグラフィアの最初の形?>
『Making the scene』では、ソフォクレスのスケノグラフィアの使用より前に、アイスキュロスの作品において、アテネの画人アガサルカスが絵を描いていたということをウイトルウイウスの『建築書』から引用している。(第7書序11より)


『~実に、まずアテネではアガサルカスがアイスキュロスの指示に従って悲劇の舞台をつくり、それに関する覚書を残しました。それに動かされてデモクリトスとアナクサゴラスも同じ事項、すなわち不確かなものから確かな像が舞台の背景画の中に建物の外観を与え、凹凸のない平らな面に描かれたものが、あるものは引っ込みあるものは突出して見えるためには、ある場所が中心と定められた場合、描線は自然の理に従って眼の矢線と放射線の延長にどんなふうに対応すべきであるかについて書き記しました。 』

実際にスケーネに描かれた背景画すなわちスケノグラフィアがどのようなものであったかは定かでないが、ローマ時代に描かれた壁画にそのイメージを探ることができる。

次回、古代遠近法について見ていきながらスケーネに描かれた絵や空間がどのようであったかを探っていきたい。





参考文献
『making the Scene』
ウイトルウイウス『建築書』