『迷宮図と古代ギリシャ劇場、あるいは、迷宮舞踏とサミエル・ベケットの『クワッド』』
前回、アリアドネの糸と迷宮図を巡り、セノグラフィーとコレオグラフィーの関係を探ってみた。今回は、迷宮図の作図方法から古代ギリシャ劇場との関係性、その空間に隠された正方形の秘密についてサミエル・ベケットの『クワッド』の図式等から探ってみたい。
(サミエル・ベケット) |
迷宮図をもう一度みてみよう。(1)
(1)クレタ型迷宮図(Wikipedia) |
<迷宮図のイメージ>
最初に迷宮図を見た印象は、
- 迷路とは違う
- 規則性があるが、正円ではなく歪んだ円の形をしている
- フリーハンドでしか描けないのか?
- 古代の人は、コンパスのような単純なもので描いたのではないか?
そして、なんだか脳の図のようだなとも思った。(2)
(2)脳の断面(Wikipedia) |
迷路の回路を思考の回路だと思うと、極端に右に振れた後、また左に振れる。右脳と左脳を行き来する思考のようだと。
入り口と出口のあたりはちようど脳幹にあたる。
図式化され空間化された思考。生と死を反復する構図。
迷宮をたどる者は左右だけでなく上下、内外に何度もゆさぶられる。
<迷宮舞踏・鶴の舞踏>
迷宮舞踏と呼ばれる鶴の舞踏の動きを想像してみる。
アリアドネの糸というコレオグラフィーに従い動く人々の軌道である。
円弧の部分では、フォークダンスのように接する人と逆方向にすれ違うが、中心の下、脳でいえば脳下垂体の部分では平行に左右対称に移動する。(3)
(3)アリアドネの糸の動き(矢印が進む方向)(ITARUS) |
この振り付けはなんだろうか?いつかワークショップで実際にこの動きをシュミレーションしてみたい。
ヨーロッパに古くから伝わりフォークダンスの原型とも言える、メイポールの祭りのダンス。これも迷宮の舞踏のイメージと重ならないか。(4)
(4)Maypole Dance http://occultamerica.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10 より |
中央に柱を立てそこから伸びたロープ(紐)を持ちながら柱の周囲を巡る。
ここにもサークルという迷宮の図式とロープ(リボン)というアリアドネの糸のイメージが投影されている。
<南方曼荼羅>
知の巨人、南方熊楠の絵に不思議な一枚がある。南方曼荼羅と呼ばれる絵だ。(5)
(5)南方曼荼羅図 |
迷宮図はこの絵とも似ていると思ったが、よくよく見直してみると熊楠の絵は放射状にも線が出ていて、曲線と交わったりしている。そしてそこに思考の交差点・翠点というものを構想しているらしい。こちらの図式の方がより脳みそに似ている。あるいは迷宮図は正面から見た脳のイメージ。南方曼荼羅は側面から見た脳のイメージ。
南方曼荼羅図とは?
http://japanese.hix05.com/Minakata/minakata105.mandara.htmlより引用
この図は、民俗学者の間で「南方曼荼羅」と呼ばれているものである。この奇妙な図を南方熊楠は、土宜法龍宛明治36年7月18日付書簡の中で描いて見せた。この書簡の中で熊楠は、例の通り春画やらセックスやらとりとめのない話題に寄り道をした挙句に突然仏教の話に入るのであるが、この図はその仏教的世界観(熊楠流の真言蜜教的な世界観)を開陳したものとして提示されたのであった。(中略)
熊楠は、これらの線は事理を現しているという。事理とはものごとの筋道と言った程度の意味に考えてよい。この世界と言うものは様々な事理からなっている。それらの事理は互いに交差しあったり、あるいは相互に離れていたり、もつれあったり、絡みあったりしている。図でいえば、各々の線の配置が様々な事理の布置を現しているわけだ。
たとえば図の(イ)という点では、多くの線が交叉している。熊楠はこれを萃点(すいてん)と呼んだ。萃点は多くの事理が重なる点だから、我々の目につきやすい。それに対して(ハ)の点は二つの事理が交わるところだから、萃点ほど目立たぬが、それでも目にはつきやすい。(ロ)の点は(チ)、(リ)二点の解明を待って、その意義が初めて明らかになる。(ヌ)はほかの線から離れていて、その限りで人間の推理が及び難いが、それでも(オ)と(ワ)の二点でかろうじて他の線に接しているところから、まったく手掛かりがないわけではない。だが(ル)に至っては、ほかの線から完全に孤立している。したがって既に解明済みの事柄から推論によって到達するということが困難なわけである。
このように熊楠は、世の中の成り立ちを事理の組み合わせと見、それを人間の認識能力とのかかわりにおいて、体系づけたのであった。
まさに、思考のイメージを図式化したものだ。
弘法大師・空海が曼荼羅のイメージを立体空間で表象したように、観念、思考をビジュアルアナロジーとして表象する系譜がここにもある。
南方曼荼羅はしかし、曲線の他に多くの放射的な線があり、交わるポイントで脳のシナプスが繋がるように様々な思考やイメージが交わっている。
一方、クレタ型迷宮図を歩くアリアドネの糸のラインは、交わらない。一筆書きのラインだ。(6)
(6)アリアドネの糸のラインは一筆書き(ITARUS) |
そしてアリアドネの糸である舞踏のラインは一筆書きの一本の線であるのに対し、迷宮図の方は2本の線で構成されている。(7)
(7)迷宮図の2本のラインと交差ポイントに注目(ITARUS) |
このクロスするあたりに、迷宮図を紐解くヒントがありそうだ。
<迷宮図の描き方>
前回も引用させていただいた、中島 和歌子氏の『迷宮(Labyrinth)図像群に関する一考察』に迷宮図の描き方というイラストが載っている。
まずはこれを頼りに描いてみる。(8)
(8)クレタ型迷宮図の描き方 『迷宮(Labyrinth)図像群に関する一考察』中島 和歌子より |
以下、この図を参照に私なりに描いてみた時の描き方。
1/中心となるクロスポイント(正十字)を描く。
2/そのクロスポイントが内接する一辺がaの長さの正方形を描く。
3/上辺の中心から1/8だけ左に行った点を中心1とした半径1/8aの円弧を描いていく。
4/中心1から半径1/4aだけ足されていく円弧を描いていく。
(9)
(9)迷宮図の描き方NO.1 |
(10)迷宮図の描きたNO.2 |
描いてみて、面白いなと感じたのは、これだけ曲線の集合なのに四角形がベースにあるということ。
始めに正方形が必要なのだ。
それを言わば手掛かりにして各頂点を中心とした円弧と、上辺の中心から一辺の長さの1/8移動した点を中心とした円弧の集まりで出来ている。前回示した図のように。
<方円の関わり>
迷宮図の円弧の規則性の根拠は、四角形の頂点との関わりで現れるのだ。
ここにもネガとポジの関係性がある。
前回触れたように迷宮図=ネガは、アリアドネの糸のライン=ポジを出現させる隠された空間装置(セノグラフィー)であり、迷宮図として現れてくるのは円弧の集合だが、
その背後にある形、いわば#オカルトラインは正方形なのだ。
#オカルトラインとは?
透視線と呼ばれるもので、実際には見えない線。遠近法等を描く時の隠れた線の事。
一点透視図法の場合、観察者から対象物までの透視線が中央の消失点に集まる。その透視線を指す。
見えない”糸”すなわちゴーストに操られ、人間の視覚空間が出来上がっているというイメージが伝わってくる言葉だ。
<隠された四角形>
サミエル ベケットの作品に『クワッド/Quad』というのがある。
四角形の4つの頂点にそれぞれ人がいて、四角形の辺と対角線上を動くという作品だ。
コンテンポラリー・ダンサー/山田 せつ子さんがある作品でこのイメージを使用していた。
これには単純な2つのルールだけがある。
ひとつは、頂点に到着したら、必ず45度の角度で左にいく。
もうひとつは、対角線上ですれ違う時必ず右に避けて衝突は退避する。(11)
(11)『クワッド』の歩行順路図 http://web.waseda.jp/rps/webzine/back_number/vol021/vol021.htmlより |
この作品はこの単純な2つのルールだけで、言わば舞踏のように振り付け(コレオグラフィー)られた演劇なのだ。
俳優の動きが空間の規則性を出現させる。
これもひとつの『迷宮舞踏』と言って良いのではないか。
『クワッド』は、迷宮図の隠れた線、オカルトラインのトレースなのかもしれない。
<ギリシャ劇場の220度と迷宮図>
迷宮図とギリシャ劇場を重ねてみる。
1回目と2回目で扱ったように、ギリシャ劇場の原初には、ダイダロスのいくつかの神話が関わっている。
迷宮と劇場は離れがたくその根源に共通の根をもっている。
重ねてみると中心近くで絶妙にパフォーマーの動きが変化しダンスのムーブメントの規則性の変わるポイントと220度のラインが重なる。(12)
*古代ギリシャ劇場の図式については<その4>を参照。
(12)古代ギリシャ劇場と迷宮図の関係 |
アリアドネの糸に導かれた動きは実は正方形の内部では、左右対称の動きになり、円弧の部分でのすれ違う動きとは異なる。(13)
(13)アリアドネの糸(鶴の舞踏)の正方形内での動き→左右対称性に注目 |
1回目で見てきたように原初のパフォーマンス空間・コーラが完全な円だったとすれば、
円弧の集合である迷宮を形作るラインとその振り付けが、客席の限界線の角度と関わりがあってもおかしくない。正方形が見えないラインで客席が限界付けられている。
そして、ギリシャ劇場のオルケストラの部分、あの完全な円形の背後には正方形のオカルトラインがあるのかもしれない。
そして、迷宮舞踏は実は円に隠された四角形に規則づけられており、ベケットの作品『クワッド』も、反転したギリシャ劇場のセノグラフィーを浮かび上がらせる『もうひとつの迷宮舞踏』と言って良いのではないか。
< ウィトルウイウスの語るギリシャ劇場>
ギリシャ劇場のあの円形の背後に正方形が隠されている?というのには訳がある。
古代ローマの建築家・ウィトルウイウスの『建築書』にギリシャ劇場の作図法の項目があり、そのことが書かれているのだ。
ギリシャ劇場の形態の背後には、1回目で見てきたような環境、身体の知覚からのプランニングの他に星座との関わりや数学的法則性があるという。(図14と解説)
(14)ギリシャ劇場の作図の方法 |
ウイトルウイウス建築書 第7-1より
『ギリシャ劇場ではすべてがこれと同じ手法でつくられるべきでない。というのは、まず底の円において、ラテン劇場(ローマ劇場)で四つの正三角形の稜が円周線に接しているように、ギリシャ劇場では三つの正方形の稜が円周線に接し、そしてその正方形の一つの辺はスカエナに最も近く、それが円弧を切り取り、その線上にプロースカエニウムの縁が指定されるからである。そして、この円弧の端にこの方向と平行な線が引かれ、それにフローンスカエナが定められる。オルケーストラの中心を通ってプロースカエニウムの方向に線が引かれ、それが左右で円周線を切り取るところ半円の両角に中心点が印しづけられる。そして右にコンパスが置かれて左までの間隔で円がプロースカエニウムの左の部分に向かって描かれる。同じく、コンパスが左の角に置かれてプロースカエニウムの右の部分に向かって円が描かれる。』 2 『こうして、ギリシャ人は3つの中心を使ったこの作図法によって(ラテン劇場よりも)もっと広いオルケーストラともっと後退したスカエ ナともっと狭い幅の高座を持つ。かれらはこの高座を悲劇および喜劇の俳優たちがこのスカエナで演技するという理由で、ロゲイオンと呼 ぶ。・・・・』
このギリシャ劇場の作図の前にウイトルウイウスはラテン(ローマ)劇場の作図の方法を示している。(図15と解説)
(15)ラテン(ローマ)劇場の作図の方法 |
『劇場そのものの形は次のように造られるべきである。底面の周に予定されれいる大きさの円周線がコンパス(の一脚)を中心に置いて引かれ、その中に円の縁に触れる四つの等辺三角形が等間隔に描かれる。これによってはまた天空12座の星学においても音楽から借りた諸星の関係が割り付けられる。これらのさん関係のうちその辺がいちばんスカエナに近いこのが円の弧を切り取るあたり、そこにスカエナの前面が限られる。そしてこの場所から中心を通って平行線が引かれ、それがプロスカエニウムの高座とオルケストラの場を区分する。』
<四大元素・五大思想と立体>
このように古代の劇場には宇宙の原理と幾何学的、図象的発想が関わっている。
球体やプラトン立体とよばれるような単純な多面体と宇宙の原理を関係づける思想は、ギリシャだけでなくインド仏教や中国の宇宙観にもある。
方形、円形、三角形等単純な立体を重ねた五輪の塔と五大思想、曼荼羅図、仏塔(ストウーパ)の意味については、『空海 塔のコスモロジー』という面白い本があり、また別の回で触れたい。
ここでは最後2つほど、他に迷宮の図象的な類推(ビジュアル アナロジー)として考えられるものをあげたい。
一つはダンテが『神曲』で構想した地獄。(16)
(16)ボッティチェリ作 ダンテ『神曲』の地獄の図 1490 (Wikipedia) |
またインドではこの正方形版の階段井戸というのがある。(17)
(17)インド 階段井戸の例 http://www.wastours.jp/tour/pickup/asia/1201_01.htmlより |
これらの例は迷宮の図式を平面だけでなく、上下方向の立体としてもも展開した空間構想といえるだろう。
そしてどれもがやはりそこに行き、引き返して来るというムーブメントやパフォーマンスと関わっている。
方形と円。単純な形体がパフォーミングアートの原初に関わっていることだけは確かなようだ。
参考文献 ウイトウイルス「建築書』