2019/04/05

セノグラフィー ってなに?<スケッチ散歩6>長野 善光寺の謎を巡って


善光寺 参拝~善光寺の謎を巡って〜2018/01/13


<長野の由来>
南に開けた緩やかな傾斜地
その長い野原が長野の由来という。

遠くに信州の山並みが見える。
真っ直ぐな参道をぐんぐんと登っていく。
善光寺の大きな門(仁王門)が参道の遠くからでも良く見える。

劇団青年団の公演で初めて長野を訪れた。折角なので空き時間、
善光寺にスケッチ散歩に出かけた。

真冬の長野、凛とした空気が張りつめている。
南側斜面に開けた参道は真冬でも日差しを受けて気持ちがいい。

絶妙な曲線の
唐破風重厚だが軽やかな兜のような屋根。仁王門の前には数段階段があり、そのため近づくと門は高さを増して大きくせまってくる。
黒く浮遊する武人の兜のような屋根の向こうに真冬の信州の蒼い空が広がっている。(1)
(1)長野 善光寺参道とその先の仁王門
<仁王門と仁王像>
空に見とれていたら門の端に屹立する黒影が目に飛び込んでくる。仁王像?ドキっとする。
階段を登り門をくぐるとき、左右の阿吽の仁王像と目が合うポイントがある。否応でもちょっと立ち止まってしまう。
「我々がみているぞ。ここから先は、悪人はとおれぬぞ。」
そんな声が聞こえたかどうか。恐る恐る門をくぐる。(2)

(2)長野 善光寺 仁王門
後でわかった事だが、善光寺宝物館に大正時代の小さな模倣があり高村光雲と弟子の米原雲海の作とあった。(3)
(3)善光寺 仁王門 仁王像 彫刻
https://www.zenkoji.jp/houwapost/第36回%E3%80%80仁王門について/より

仁王門の中に足を踏み入れると、次元がまた一つ変わる。さらに開けた高原の平地が広がる、巧みなシーン デザインだ。

そこから真っ直ぐと伸びる石畳の門前街がまた素敵だ。
その先に三門と善光寺本堂が顔をだす。


<風水と善光寺>
古人が列島の背骨に発見した美しく素晴らしい環境。大寺院はその地に佇んでいる。
緩やかな南斜面の地、北に山を従えたそれは、風水を読み解いた古人の知見の見事さだ。遠く東を流れる千曲川が東を司る青龍だろうか。

平安京にも匹敵する強い風水の地。
古人がこの地のパワーを読み解き、古くから城や都、寺院が建立されたのもわかる気がする。
信州の地にあって時の中央の権力、大和朝廷とどのような関係をきづいていたのか?
信州の山並みが聳えるどこまでも蒼い天球を見上げて妄想する。


<門前町と石畳>
歩こう。今度は下に目がいった。(4)


(4)参道の見事な石畳
敷石が美しい。ちょっと赤みがかった、表面が滑らかな石だ。
近くの案内版には、安山岩とある。江戸時代に信州の山から掘り出したものだと言う。看板に曰く、泥棒だと思い殺した相手が放蕩の我が子だと知った大商人が業の深さを悔い寄進したものだと言う。7777枚もあるらしい。因果、因果。六根清浄、ろっこんしょうじょう。

この綺麗な石畳を歩きながら、
イタリアの中世の街 ベローナを思いだした。
街の道路という道路がちょっと赤みがかった大理石で敷き詰められている。ベローナローザと呼ばれる美しい石畳の街。
それにも匹敵する凛とした気配をこの敷石はつくり出している。
江戸中期、どれだけの富が善光寺に注がれたことか。石が無言に語っている。

敷石が作り出す浄土の結界。
時代を超えて様々な人々の憶いが、重なり連なり通り抜けていった石を踏みしめながら歩く。

参道の端々にここは何丁という表示があり、それが変わるたびというか、地形にその丁を合わせたというべきか、丁が変わるたびに傾斜の角度が変わったり参道の建物の雰囲気が変わっていく。

仁王門を越えるといよいよ善光寺の境内に入ってきた感がする。

仁王門から三門までの間はいくつもの土産屋や蕎麦屋がのきを連ねている。



<いよいよ三門>
平入りの三門は五間間口の二層で、お金を払えば楼閣に上がれる。
江戸時代の再建という。帰りに登って見よう。(5)
(5)本堂と見間違えるほどの三門の威容


京都の南禅寺の三門、知恩院の三門にいずれ劣らず美しい。
こちらの三門は一層と二層の垂木は平行に並んでいる。確か南禅寺の三門の二層の垂木は放射状だったような。こちらの方がシンプルな印象を持った。

まだ正月、13日だ。
三門に掲げられた文字の中に鳩がいるという善光寺の額を挟んで賀正の赤い字がはえる。(6)

(6)善光寺山門の額/5つの鳩がいるという、、。
http://goldnews.jp/photo/chubu/entry-1508.html より


<フレーミングされた本堂>
三門の真下にて、また立ち止まる。
太い円柱に切り取られ、いよいよ本堂が顔を出す。

本堂と三門の絶妙な距離と柱間から切り取れれて見える本堂のバランス。
古人のシーンデザインの巧みさにまた驚く。(7)
(7)三門の柱が作り出す額縁から本堂を眺める
<本堂の屋根の形の謎>

大きい!
屋根が浮いている?
この迫る感じはなんだろうか?

お寺だよね?
ちょっと不思議な感覚に襲われる。

?の理由を考えてみる。
今回これを書こうと思った理由がこの違和感にある。

善光寺は独立した宗派の寺院だという。創建も古く平安時代頃だ。
?と感じたのは、なんかお寺っぽくないのだ。
いつの時代でなんの宗派なのか?
外観の印象が今まで京都などで見てきた寺院のどれとも似ていない。
その違和感は屋根と正面の見え方にある。

本願寺や知恩院と言った鎌倉仏教の本堂は横に広がっていて屋根はこちらに柔らかな曲線を差し出している。建築的には平入りといい優しく招き入れるような形をしている。
空海の東寺や日本最古の仏教寺院、法隆寺の金堂、講堂も平入りだ。
(8)
(8)京都 本願寺 本堂
http://www010.upp.so-net.ne.jp/teiryu/Ky12.htmlより

しかし善光寺の本堂は、切妻屋根の三角が天空に鋭角となって聳えている。正確には入母屋屋根だが、聳え立つ鋭角が印象強く、写真を見返すまでは切妻だと思いこんでいた。
その深く高い三角の妻手の下が、流れ作りの曲線になり、しなやかにこちらに迫ってくる。
それはまるで鳳凰が飛び立つような、重厚だが颯爽とした印象を与える。
さらにその下に裳階が廻り唐破風となり、二重に階層が連なった屋根は両翼を広げた鳳凰が翼を上下させたような動的な印象を強める。
それは今まさに飛び立ち、翼をいきよいよく上下した軌跡が残像として残っているような感じ。(9)
(9)善光寺 本堂外観

切妻や入母屋という屋根の形はどちらかというと神社の建築に見られる様式で厳かさ・
畏れを抱かせる感じがある。
神社 春日造の例(10)
(10)神社 春日造の例 
https://kotobank.jp/word/春日造-44514より


御柱が御神体となり、天と地を繋ぐ間の装置として機能する。内部は神の為の空間となり、通常人は外から祈る。神明造の例(11)
(11)神社 神明造の例 柱自体が御神体になる
https://kotobank.jp/word/神明造-82645 より



一方寺院の内部は読経や修行、祈りの為の空間だ。
信者をなるべく多く招き入れ,
皆に読経が聞こえるよう横に広く、仏に近く座れるような仕掛けに溢れている。

<風水を取り入れた本堂の形>
善光寺の本堂は奥行き深くその外観の印象は、凛としてまさに鳳凰が飛び立つような姿だ。
南に向かう鳳凰といえば、、。
風水を意識している?
そこでちょっと思いあたった。

例えば京都は風水を巧みに読み込んだ都市で、寺院などでは、各々の方位にちなんで龍-東、朱雀-南、虎-西、亀-北のキャラクターがその方位に関係する位置の屋根瓦や門にいたりする。この善光寺の本堂の南面のファサードの表現自体が、朱雀即ち鳳凰に見立てられているのではないか?だからだろうか寺院の本堂というよりは、神社あるいは、皇帝の住む御所のような印象を受ける。


いずれスケッチしてみよう。
何か謎が解けるかも、、。


<本堂の平面の謎>
本堂の前で焚かれている線香を身体にあて、本堂に入る。
やはり大きい。そして平面図を見ていたときにも感じていたが奥がとても深い。間口の倍あるのだ。(12)
(12)本堂平面図(A - 外陣、B - 内陣、C - 内々陣、赤色は本尊安置場所)
https://ja.wikipedia.org/wiki/善光寺 より


こんな平面のお寺、他にあっただろうか?
また一つ謎を抱えながら、一番奥の下手に安置されている秘仏の前に佇む。
合掌。
秘仏(本尊)が下手に安置されている(平面図の赤い部分)のも不思議だ。
折角なので戒壇巡りをしてみる。

縁の下の真っ暗闇の道、右手の板を触る感触だけで前に進んでいく。
時折、丸い大きな柱の円弧を触り、何度か角を曲がり何かに触った。びっくりし手を瞬時に引っ込める。
ふたたび板壁を触りながら進むとうっすらと明るくなり、先程入った本堂上手の階段のすぐ奥の階段に出た。知らぬまに本堂下の暗闇を一周していたわけだ。
説明文を読んでみると、なにやら秘密の錠がありそれは秘仏に通じているらしく幸運をもたらすという。探しあて触って下さい!とある。
しまった!さっきのあの変な出っ張りの感触が、、。すぐに手を引っ込めてしまったが。

ああ、、。

暗闇の中を歩く。手の感触だけを頼りに。戒壇巡りや胎内巡りという空間装置の身体と関わるアート的な魅力に改めて感心する。

さてまあ、暗闇の後は心晴れやかに外に出る。
三門に上がり、信州のパノラマを体感し、セット券で回れる経蔵でお経の回転装置を回し、忠霊塔の地下にある宝物殿を見て、善光寺を後にした。(13)
(13)山門からの信州長野の眺望。山並みが美しい。




<善光寺参拝2日目>
翌日また訪ねて今度はスケッチを試みる。
(14)
(14)善光寺のスケッチ2018/01/14
サイドから見ると屋根のT字型の作りがよくわかる

前日にも感じた違和感。
それは外観、特に屋根の形がお寺っぽくないということ。

そして、内部空間に関してもだ。本堂の平面を見たときに感じた間口に対して奥行きが2倍あるという普通のお寺っぽくないという違和感である。

ちょっとほかの寺院の平面と比較してみたい。
例えば京都 知恩院 本堂(御影堂)。(15)
(15)京都 知恩院本堂(御影堂)平面図
https://ja.wikipedia.org/wiki/知恩院#/media/File:Chion-in_Hondô.jpg より


先に写真でみた本願寺本堂もこの法然聖人の知恩院本堂(御影堂)も横長の平面をもっている。基本間口(柱と柱の間)は奇数で中央が間(開口)で受ける。人を招き入れる形だ。


この違いはなんなのか?

善光寺は何度も燃えているという。現在目にするのは江戸中期の再建。
もしかしたら、もっと昔は違う形だったのかも?とネットで調べてみると。
2つほど、描かれた善光寺の姿を見つけた。


<善光寺いにしえの姿>
一つは鎌倉時代の絵。
一遍上人絵伝に描かれた善光寺だ。(16)

(16)一遍上人絵伝 善光寺(第1巻三段)
https://s.webry.info/sp/nora-p.at.webry.info/201511/article_11.html より
この絵では、本堂は横長に描かれており、本願寺や知恩院と似た感じになっているが、

屋根の形にやはり現在と同様の特徴、すなわち入母屋の形が見えている。
屋根の棟の形は十字形になっている。


もう一つは豊前善光寺所蔵の縁起絵伝に描かれた善行寺。こちらは江戸時代中期という。(17)
(17)豊前善光寺所蔵の縁起絵伝(江戸中期)
http://mylovetabilogs.blogspot.com/2015/09/blog-post_24.htmlより



よく見ると手前の空間、現在の外陣にあたる部分は壁がなく屋根のみのテラス空間になっている。もしかすると信者が多いため祈りの空間を増設するという目的で一編聖人絵伝のような平入りの軒の空間が伸びてきて、室内化したのだろうか。
共に入母屋作りの屋根は共通しているが、間口と奥行きの幅の関係は逆になっている。
こちらの方が現在の善光寺にかなり近い。そして現在と共通しているのは屋根の棟の形だ。T字形になっている。
平面図にトレースすればこんな感じ。(18)

(18)善光寺 屋根の棟のT字型のライン

これは何を意味しているのか。
屋根の形態が内部空間の用途に合わせ変えられているという事だろう。

すなわち善光寺の本堂は二つの空間から成り立っているという事を示している。
先に見た江戸時代中期の絵のように、前方の外陣部分と後方の内陣部分。
単なる縦長の空間ならわざわざ屋根をこのように分離する必要はない。切妻のシンプルな屋根を通せば良い。しかし、善光寺のこのT字形の屋根は二つの異なる空間を結合した事を意味するのではないか?


<ハイブリッド空間>
即ち、奥は従来のお寺の本堂、それも方形の空間に平入りの屋根。
前方の部分は妻入りの形、すなわち切妻形の神社の形式の空間だ。

寺院のスタイル神社のスタイルを合体させたハイブリッド空間なのである!(19)

(19)善光寺のハイブリッドな空間構造


ハイブリッドな聖なる空間、、?とくればビジュアルアナロジー的にはハイブリッドな古墳の形、前方後円墳に飛ぶのである。

<前方後円墳とストーパ>
方墳と円墳という全く異なるシステムをハイブリッドに結合させた形。

近畿のみならず関東、長野にも多く分布している古墳の形式。
例えば長野にはこんな前方後円墳があるという。(20)
(20)長野県 森将軍塚古墳
https://www.travel.co.jp/guide/article/26566/ より 写真:松縄 正彦氏

なぜ前方後円墳に飛ぶかと言うと、、。

『空海 塔のコスモロジー』 武澤 秀一/著という本で、塔の原型であるインドのストゥーパについて面白い記述がある。


ストゥーパは塔であるが、土饅頭に近く平面は円形をしているという。(21)
(21)サーンチーの大ストーパ
https://ja.wikipedia.org/wiki/仏塔#/media/File:Sanchi2.jpg より
そして、参拝の方法はその周囲をぐるりと巡るという方法なのだ。日本のように正面で参拝するのではなく、この円墳の周りをグルグルと巡ることが重要なのだ。
まるで戒壇めぐりのように。あるいは、チベット仏教で見かけるお経を回す装置=マニ車のように。
前方後円墳の後ろ部分の円墳のルーツがストゥーパなのではないか?。

ストゥーパが中国に伝わり石の多重塔となり、木造の塔となり、日本に入って来て法隆寺の五重塔の形になる。
元の石塔、例えば五輪の塔は平面は方形と円形が重なっている。(22)

(22)叡尊塔(奈良市西大寺奥の院)五輪の塔→幾何学形態の重なり
https://ja.wikipedia.org/wiki/五輪塔 より

<戒壇巡りとストーパの参拝方式>
そして先ほどの本堂下部を巡る、“戒壇巡り”は本堂の奥の真下をぐるりと巡るルートになっている。善光寺の本堂の奥の方形のベースにストゥーパに通じる円墳のアナロジーが隠れていはしまいか?
戒壇巡りのルートが、不可視の円墳を浮かび上がらせるのだ。(23)

(23)善光寺 戒壇めぐりMAPより

真っ暗闇の中での手探りで歩くルート。なんども折れ曲りながら、八の字を描かせるように身体を誘う。この円形のルートにストーパの痕跡がみいだせないだろうか。(24)




(24)善光寺 戒壇めぐり イメージ概念図
内陣と内内陣を八の字を描いて回る。不可視の円が体感として浮かびあがる。
外陣Aの方形の空間とBの下部にある不可視の円形空間のハイブリッド構造

どんどんと妄想が膨らむ。
前方後円墳の方位に対する布置の仕方は?どうだろうか?
円墳の部分が北側にありはしないだろうか?
長野エリアにも前方後円墳が多く分布しているという。

そのエリアと長野、信濃川の関係は?
善光寺は元は地域の王族の聖地ではなかったろうか、、、?


<風水と善光寺> 先に初めて善光寺を参拝したときに、感じた自分の記述をもう一回読み返す。

『古人が列島の背骨に発見した美しく素晴らしい環境。大寺院はその地に佇んでいる。
緩やかな南斜面の地北に山を従えたそれは、風水を読み解いた古人の知見の見事さだ。遠く東を流れる千曲川が東を司る青龍だろうか。

平安京にも匹敵する強い風水の地。、、、』




物流の拠点、風水の地。大和朝廷と絶妙な距離をとってきた王族の聖地?
大和朝廷との関係の中で、寺院としてその王族の痕跡を巧妙に隠しながら存続させてきたのではないか?

謎は深まるばかりだが、善光寺の唯一無二の形態や単独の宗派であるという事、長野の地域性や独特の文化の中で大切にその存在が守られ、愛されてきた事がわかった気がした。

この善光寺の地形が持つ、風水は不可視の龍の道をイメージで浮かび上がらせる。

山門を降りながら、そんな事を妄想する。

<追記>
善光寺に向かう途中 権堂商店街にある宇賀神弁財天を参拝した。芸能の神・弁天様。
舞台芸術に関わる者としては是非ともと思いスケッチ。
実は後でスケッチを見返して気づいたのだが、この弁天様のお堂の屋根も善光寺本堂と同様な造り、入母屋と唐破風まで善光寺をトレースしている平入りと妻入りのハイブリッドになっていた!善光寺のミニチュアといっても良いかもしれないつくりなのであった。

また、この弁財天が九頭龍の伝説、すなわちヤマタノオロチと関わっているという。
ヤマタノオロチを退治した素戔嗚尊はインドの芸能の神・牛頭天王と習合している、、。
弁財天と九頭龍と素戔嗚と芸能と、、。
謎は深まるばかりだが、龍の道を内在させた善光寺の風水的布置に改めておののく。(24)

(24)宇賀神大弁財天のお堂
かわいらしが風格がある
スケッチの時に書いた文章(絵の上)。
『善光寺 参道の東側に権堂商店街の大アーケードが一直線に伸びている。
そのたもとの所に弁財天がある。
権堂の由来となった寺。法然聖人が泊まったとある。
九頭龍の伝説と関わる弁財天。
ひっそりと美しくたたずんでいる。』