2017/02/27

セノグラフィーってなに?<歴史3>

『古代ギリシャのセノグラフィックな視点』

今回は古代ギリシャ人がパフォーミングアートの空間に創造したコーラ以外のセノグラフィックな発想の幾つかを、祭儀の場が劇場へと変化していく過程の中に見ていきたい。

<観客席の成立>
神殿と対応して舞踏用の”空なる場”コーラが出来上がると、それを取り囲むように観客のエリアが生成される。
ローマ時代の制度としての”劇場”に適するよう改変されてない、現存する最古の完成された空間はギリシャ、ペロポネソス半島の付け根にあるエビダウロスのパフォーミングアートスペースだろう。(1)(2)
(1)エピダウロスの劇場 BC4c ポリュクレイトスの設計(絵はがきより)
(2)エピダウロスの劇場(チケットより)

敢えて劇場と言わないのには理由がある。古代ギリシャでは劇場を意味するシアターの語源であるテアトロンとは観客席のエリアを意味したからだ。
観客の場であるテアトロンとコロスの場=コーラが組み合わさり始めてパフォーミングアートの空間が出来上がる。

<劇場の誕生>
ピーター ・ブルックが著書『何もない空間』で、演劇の原初は”人が一人いて空間を横切る、それをもう一人の人が見つめる、そこから演劇が始まる。”と語ったように、とてもシンプルだがそこには”観る-観られる”の関係性が必要だ。それがテアトロンとオルケストラの関係にあたる。(3)
(3)コーラからオルケストラとテアトロンへ(劇場の誕生)


ジャック デリダが語るように、それ自体では姿を見せないコーラであるが、テアトロンという明確にそれを境界づけるものと結びついたときオルケストラとなり、祭儀の場は演劇空間の場へと変化したのではないか。それと同時にコーラの”場なき場”としての神話的役割は終わり、その場はオルケストラという平土間のステージになっていったのではないか。”劇場”の誕生である。

<舞殿と能舞台>
これは、日本の神楽の舞殿からの能舞台への変遷と似ている。神楽の舞は神に奉納されるものなので、舞い手は神の方を向いているが、能舞台では神の見立ての姿である松羽目を背景に観客に向かい演じるようになる。(4)
(4)神楽の空間性と能の空間性(ITARUS)

ここに、神殿とコーラという関係で成立していた祭儀と、オルケストラとテアトロンとして成熟していく演劇との最初のセノグラフィックな断絶がある。

<自然への眼差し>
エビダウロスの空間は、緩やかな自然の斜面を利用して観客席が配置されている、その観客の視線の先には、舞台とともにギリシャの美しい山並みが見てとれる。
遠くまで借景のようなセノグラフィーが広がっている。(5)

(5)エピダウロスの劇場 借景のようなギリシャの山並み(ITARUS)

演者の声が風に乗って運ばれてくる。太陽の角度、湿気の分布、気流の流れを計算し絶妙に空間が設えられている。自然を巧みに読み解きそれに逆らう事なくシーニックに空間を布設する見事さ。
空間が劇場内部で完結しているローマ劇場とは、形は似ているが自然に対する思想がまったく異なっているのだ。ギリシャの演劇空間を語るとき、劇場建築というフレームだけでは捉えきれないシーニックな見方が重要だ。

セジェスタ、シラクーサ、タオルミーナ等。シチリアに残る古代ギリシャの劇場を巡った時、まずその環境の見事さに驚いた。起伏に富んだ乾燥した薄茶色の地形を巧みに利用し、遠くの山並み、地中海の碧い海、果てしなく澄んだ空、それらと対話するようにどの劇場も個性を持って佇んでいる。(6)(7)(8)


(6)シチリア・セジェスタの古代ギリシャ劇場(ITAURS)
スケッチした時の走り書きには、
『~Segesta~
海の見える劇場。背景は山と海。山頂の斜面を利用して築かれたギリシャ劇場。ここでどんな劇が上演されたのか。乾いた熱い日差しと静かな風の音を聞きながら』とある。

(7)シチリア・タオルミーナの古代ギリシャ劇場(ローマ時代に改変されている)
背景に海と右端にエトナ山の稜線が見える(ITARUS)
(8)タオルミーナの劇場を遠望する
海に突き出た丘の地形を巧みに利用した空間設計
(ITARUS)

古代ローマの建築家ウィトルウィウスが『建築書』で語るギリシャ劇場の作り方にこんな項目がある。

引用『建築書』
第5書第3章-2より
『また、南からの攻勢も受けないように備えるべきである。なぜなら、太陽が劇場の円形部に充満する時は、凹みに閉じ込められた空気は流動する力を失って反転し熱くなり、白熱の焦気となり、身体から湿を追い出し減少させるから。そんなわけで、この点で欠陥のある方角は避けられ、健康的な方角が選ばれるべきである。』 

地形、太陽の角度と温度湿度の関係、それによる身体への影響を読み解き設計されている。

<大道芸の空間から>
完全な円形だったであろうコーラ。では、観客席・テアトロンはどのような形態をしていたのだろうか。
それを考えるには、大道芸の路上パフォーマンスの空間の生成を観察すると面白い事に気がつく。
パフォーマーが道端で準備を始める。何か始めるのかな?と人が三々五々集まってくる。ただ最初、彼らはちょっと距離をとっている。真正面よりはちょっとはすの位置から事態を見つめる。その方が対象がより立体的に見えるし、観る側の心理としてはアノニマスなひとりだという安心感ができる。
パフォーマンスが面白ければ人だかりとなる。前の人はしゃがみ、後ろの人は自然と前の人の肩ごしにパフォーマーが見える位置を取る。その時、ちょっと客観的になって遠くから見つめてほしい。
恐らく人々はギリシャ劇場のような円弧状の空間配置を取っているはずだ。
しゃがんでいる人、立っている人、背伸びをしている人の順にひな壇状にならび、平面的には同心円を描き円弧状に並んでいるはずだ。
(9)
(0)大道芸の空間における人の集まりのイメージ図(ITARUS)

<220度の開きを持った観客エリア>
ギリシャ劇場の観客席の220度という扇型は、実は人間の視界の角度と関係している。
実験してみて欲しい。ちょっと変な人に見えるが、、。
顔を固定して耳の両サイドに自分の手をかざしてちょっと動かしてみる。
顔を動かしてはいけないが、眼球は動かして目の端にある対象を追って欲しい。耳の両サイドで動かしている手が視界の端に見えるはずだ。当たり前だが人間の目は横についている。そして顔が湾曲しているため、180度よりも若干広い220度くらいの視野を持っている。古代ギリシャの円形劇場の客席エリアの広がりは、まさにその角度なのだ。(10&11)



(10)人の目の視界のエリア=220度(ITARUS)


(11)古代ギリシャ劇場の空間的特徴(ITARUS)

<サイトライン>
セノグラフィーのデザインを考える時、人間の目がどれくらいの高さにあり、どれくらいの視野を持っているかを考える事はとても重要だ。サイトラインという発想だ。水平における視界の範囲をホリゾンタルサイトライン、垂直におけるそれをバーティカルサイトラインという。図面を描く時にまずそのサイトラインの広がりと限界のイメージを持つ事が重要だ。

エビダウロスのパフォーマンススペースに限らず古代ギリシャの劇場は、とても見事なサイトラインになっている。
前の人の頭が舞台を見た時に被らないように考えられている。また足が収まり易いように
えぐれていたり、水はけも考慮して設計されている。(12)

(12)水はけ、足の角度を考慮して彫られた客席(ディオニッソスの劇場)(ITARUS)
客席の奥行きの限界は、音響の側面から設計されている。等間隔で変化していく石張りのひな壇の段差は、音は水に投げ入れた石による波紋の広がりと同じように波のラインとして伝わると解っていたギリシャ人が、そのアイデアに基づきデザインしたという。
(13)

(13)波紋と音の伝わり方と劇場の客席の形態の関係(ITARUS)

さらに、声の響きの為に観客席に共振する壺を埋めたといわれるように、パフォーマーが喋る生声がよく聞こえる限界が最後列になるよう設計されている。ウイトルウイウスの記述には以下のようにある。

引用『建築書』
第5書第3章-6より
『声は、触れる事によって聴覚に感じられる空気の流れの気息である。これは無限の円い輪をなして動くーちょうど静かな 水に石が投げ込まれて無数の成長する波の輪が生ずる場合、場所の狭さがそれを遮るかあるいは何かこの波の模様が端まで 達することを許さない他の傷害がそれを中断するようなことがない限り、それは中心からどこまでも広く広がっていくこと ができるように。このような波の輪が障害物で中断される時は、最初に出た波が後続の波の模様を乱すであろう。』

実際にエビダウロスに行けば、観光客が本当に客席の一番奥でも演者の声が聞こえるか試している姿に会える。
私も訪ねたとき誰かがしゃべるその声が奥の高い席の方にいた私にま届いたのでびっくりしたのを覚えている。

<ウィトルウィウスの語るギリシャ劇場>
<癒しの空間>
先にも少し触れたが、最古の建築書を著したローマ人ウィトルウィウスがその著書の中でギリシャ劇場の建築にも言及している。(14)

(14)ウイトルウイウス『建築書』

ここでまず注目したいのは、建築書の中では劇場についての記述が、神殿、フォーラム(議場)の次にきているという点だ。それはこの時代、パフォーミングアートがいかに社会的に重要であったかの証しでもある。
おもな要点は、以下のよう。
『建築書』
第5書第3章-1 より
『フォルムが設けられたならば、次には不死の神々の祭日に催し物を見物する為の劇場にできるだけ健康な場所が選定されるべきであるー第1書に城市設定の際の健康性について記された通りに。 実に、催し物の始めから終わりまで妻や子供達と共に座りっきりの人々は面白さの虜となり、そして興にのって、身動き一つしない身体は血管が開いてその中に暁の気流が溜まる。もしこの気流が沼沢地の方角あるいは他の悪い方角から来るならば、毒気が身体に入り込む。だから、劇場に敷地が注意深く選定されるならば、この欠陥はさけられるであろう。』

そして、音の広がりに数学と音楽の理論を読み解き、観客席の段差を設計したという。
『建築書』
第5書第3章-8 より
それ故、昔の建築家たちは上昇する音を自然の足跡をたどって研究することによって劇場の階段席を造り上げた。かれらはまた数学者のカノーンと音楽の理論を通じてスカエナ(舞台背部)におけるどんな声も観客の耳にいっそう明瞭にいっそう爽やかに達するように努めた。ちょうどオルガンが青銅の薄片あるいは角製のエーケアイで絃と同じ明瞭な音を出すように造られているように、劇場の造り方もハルモニケーを通じて声を増大するように昔から定めらている。』

<ハルモニケーとしてのパフォーミングアート>
ハルモニケー、調和と訳すのがこの場合適当だろうか。音楽のハーモニーの語源だ。明瞭に爽やかに音を伝えること。そのために形、サイズを楽器のように整えること。観客席も1つの楽器、数学として発想されている。
ハルモニケーとは現在の音楽用語のハーモニーだけでなく、広く世界や自然と人間との調和を意味したという。
健康な場所、心地よく響く音。観劇という行為はアートセラピー的な要素があったのではないだろうか。
そして客席の形状は、ローマ劇場のような階級的区別はなく、単層急傾斜でどの観客にも等価で民主的な視界を確保しており、子供や妻、家族と共に観劇していたという。古代ギリシャにおける演劇とは、それを通して社会、環境、世界との調和を見いだす行為でもあったのだ。

<医者と舞台美術家>
エピダウロスの劇場を訪ねたとき、面白い体験をしたのを今でも憶えている。たまたま遺跡の中にあるレストランで、向かいに座ったアメリカ人と目が合いちょっと話しをしていると、彼は医者だという。医者がなぜ劇場の遺跡を見に来たのだろうか?興味をもったので、何故此処に来たのかと尋ねてみた。すると彼はこの地は、医神アスクレピオスの神殿があった所だという。当たり前だが、私は舞台美術を仕事にしているので、観光客はみなエピダウロスの劇場を観る為にここへ来ると勝手に思いこんでいたのだ。その時は劇場の他にそんな有名な神殿があったとは知らなかった。医者の神殿と劇場?どういう組み合わせだろうか?
先にも書いたように、ギリシャ劇場は必ず神殿と一緒にある。アクロポリスの丘の麓にあるディオニッソスの劇場、ここには、ディオニソスの神殿が近くにあった。
デルフォイの神域のアポロンの神殿とその上にある劇場。そしてエピダウロスの劇場と共にあったのは医神アスクレピオスの神殿だ。(15)

(15)医神 アスクレピオス (Wikipedia)より

アメリカ人の医者と日本人の舞台美術家が古代ギリシャの遺跡で会話をしている。現代人からすると、とても変な組み合わせだが古代ギリシャ人が見たらそれは普通の風景だったのかもしれない。
医術、数学、音楽等と観劇行為が離れがたく結びついている、古代ギリシャの英知のあり方に驚愕した瞬間だった。
参考文献 ウイトルウイウス『建築書』
ピーター ブルック『何もない空間』
ティドワース『劇場』
Oscar G.Brockett「Making the Scene』


2017/02/24

セノグラフィーってなに? <発想1>

今回は違った角度からセノグラフィーの原初を考えてみたい。

<ネガティヴハンドが伝えるパフォーマンスの痕跡>
何年か前に、知り合いの映像作家にワークショップを依頼したとき、彼が面白い写真を持ってきた。冒険写真家 石川 直樹さんの写真集にあったこの一枚。
オーストラリア アボリジニーによるネガティヴハンド(1)

(1)ネガティブハンド 石川直樹『NEW DIMENSION』より

ラスコーの洞窟壁画と同様、人類が大地に残したアートの痕跡の一つ。
通常、私たちはこれらの作品を原初の絵画作品と捉える。
しかし、映像作家の彼はこのネガティヴハンドがどのように作成されたか、その創作過程に想いを巡らせてみましょうという。ドキュメンタリーの発想だ。
作品は出来上がったものだけでなくその制作過程にこそ謎と面白みがある。
そう言われてよく見ると確かに不思議な構図と組み合わせだ。

手形をみると左右が交差しているし大きさが違う。どうも同じ人の手ではない。

そしてこのベースとなっている岩山は人里離れた砂漠との境にある。エアーズロックに象徴されるように巨大な岩は神秘的な力を秘めている。(2)


(2)エアーズロック(ウルル)http://beautifulplacestovisit.comより

<ネガティヴハンドの作り方>
巨大な岩の地肌をキャンバスとして、手を岩にあてる。そこに口に含んだ赤い砂岩を唾液と混ぜ、霧吹き状に口から吐き出し手にかける。スプレーと一緒だ。赤くなった液体に染まった手をどけると、岩にネガとして手形が残るという仕組み。

<誓いの痕跡としのアート>
この制作過程を想像してみよう。
ここからは完全な妄想だ。
例えば、恋人たち。神奈川の出身なので、こんな例になるが江ノ島や平塚の鉄塔がある小山に恋人達が願いを掛けて金網にロックした南京錠が多数ぶら下がっている。やはりその場所は人里離れたしかしそんな遠くない非日常を感じれる場所。
アボリジニーが手形を残したのも同様のシチュエーションではないか。
恋人達はいつもそこを目指す。

いるのは二人だけ。吸い込まれそうな空に星が輝く深夜か東の空が明るくなりはじめた明け方であろうか。愛を誓いあった二人がその誓いの証しとしてなにか痕跡を残す。
冷たい岩にゆっくりと手を置き互いに見つめる。互いの口から二人の交差した手に向けて、大地の色を含んだ唾液をかける。
なんてエロティックな誓いのシーンだろうか。これはもうパフォーミングアートだ。
大地と天空の間にあり、世界と自分達が交わるその一番美しい一瞬を捕まえようと大地に痕跡を残す。

<環境と対話するアート>
そう妄想するとネガティヴハンドの向こうに、言葉だけでは足りない憶いをなんとか形にして残そうとした人々の息づかいが感じられないだろうか。環境を読み解きイメージを素材、質感を伴った形にしてその場に残そうとする行為。アートの原初。ここにもセノグラフィックなアートの発想の片鱗がある。

<美を探求する心>
建築家ルイス・カーンがこんな事を言っている。
『私はつねに、始原、元初を探し求めます。原初を見いだそうと求めるのは私の性格だと思います。私は英国史が好きでその全集をもっています。しかし第1巻しか読まないし、それも最初の3章か4章を読むだけです。もちろん私のただひとつの真の目的は第零巻を読むことにあります。つまりいまだ書かれざるものを読むことにあります。人にこのようなものを探させる心とは何と不思議なものでしょうか。このような(元初の)イメージが心というものの出現を示唆しているのではないでしょうか。人間の最初の感情は美の感情です。(それは美しいということでも、きわめて美しいということでもありません。)まさに美それ自体です。・・・』 
『ルイス・カーン建築論集』より
今だ書かれざるものを読もうとする知的好奇心原初を探そうとする心こそ美を探求する心だと。

ネイティブアメリカン・ナバホ族の詩にはこんなのがある。
『Beauty before me Behind me Below me Above me All around me In beauty, I have spoken.  』 
『Native American Wisdom』より
『美が私の前にある、私の後ろにある、私の下に、私の上に。こう話している内に、私は美に囲まれている。』

特殊なことではない。誰もが持っている感覚。なぜかわからない、しかし人はそれに惹かれる。それを意識し探求しようと思う心がわき上がると今度は世界が動きだし、語りだす。

参考文献
石川直樹『NEW DIMENSION』
ルイス・カーン『ルイス・カーン建築論集』
『Native American Wisdom』

2017/02/16

セノグラフィーってなに?<歴史2>

『牡牛の神と芸能を巡って』

前回、ギリシャ神話にでてくる最初の建築家ダイダロスについて触れた。
彼が発明し製作したものに迷宮があり、それから抜け出すためのイカロスの翼があったことも。
今回はダイダロスと牡牛の神と芸術の関わりを追ってみたい。

<不完全な造物主>
ダイダロスは造物主(デミウルゴス)の一人でなんでも創り出してしまうのだが、なにかちょっと失敗がつきまとう。
クレタ島のミノス王の妻パーシパエが海の神ポセイドンの策略で生け贄の牛との不倫の末つくってしまった息子ミノタウロス。彼は半分牛で半分人間の怪物(キメラ)であった。(1)
(1)ミノタウロスと戦うテセウス(Wikipedia)
ミノス王がミノタウロスを閉じ込めるためダイダロスに迷宮の建造を依頼する。
ダイダロスは完璧な迷宮をつくるのだが、1つだけそれには失敗があった。
設計者であるダイダロスとその息子イカロスがその迷宮の出口を知っていたのである。その為ダイダロスとイカロスは迷宮に閉じ込められるてしまう。
そこからはかの有名なイカロスの翼の神話になる。閉じ込められた2人だがなんでも創り出してしまうダイダロス、脱出不可能の迷宮だが空への道は開かれている。翼をつくって一旦は飛び立つのだが太陽に近づきすぎてロウで出来ていた翼は解けてしまいイカロスは墜落する。

ダイダロス。彼はなんでも創り出してしまうが、それはどこか不完全なのだ。そんなダイダロスは前回見てきたように、原初のセノグラフィーであるコーラ=舞踏用の空間も創り出している。
ダイダロスを介して迷宮コーラ=舞踏用の空間は接点を持つ。そしてコーラ=原初のセノグラフィー=パフォーミングアートの空間は古代ギリシャの遺跡が語るように神殿と密接な関係を持っている。

<迷宮とコーラと神殿>
ここで不思議な関係がみえてくる。
よく建築的な主題として対比される迷宮神殿。ディオニソス的なものとアポロン的なものとの対比として提示される2つの世界観。片方は謎で欲望と矛盾にみち不明解。一方は整然とし理知的で明解なロジックの世界。
ここにもう1つの空間・コーラ(舞踏用の場)を加えてみる。迷宮コーラ神殿。
するとコーラ迷宮神殿の二項対立を仲介するような働きをしないだろうか。

<アリアドネーのためのコーラ>
神話ではミノタウロスを倒したアテナイの英雄テセウスを赤い糸で迷宮から脱出させたのはミノス王の娘アリアドネーで、ダイダロスが設計した舞踏用の空間とはアリアドネーの舞踏の為の空間であったという。

前回触れたように、ギリシャ劇場はかならず神殿とセットであった。そしてコーラと迷宮はともになんでも創り出してしまうが不完全な造物主(デミウルゴス)ダイダロスによって創り出された。

<3つの空間の3人の登場人>
この3つの空間に登場人物をあてはめてみる。人間と牡牛とのキメラであるミノタウロス迷宮にいる。神・ポセイドンあるいは、女神アテネとその使者としての英雄テセウス神殿に。そしてセノグラフィーの原初=コーラにはパフォーマーである人間の女性アリアドネー=コロスがいる。

ミノタウロスとテセウスのように2項対立の構図をとらない不思議な3角形の図式(迷宮ーコーラー神殿)として、ダイダロスが創り出した原初のセノグラフィーであるコーラを通してアリアドネーの舞踏=パフォーミングアートがこの対立に介在しているのだ。
牡牛と人間のキメラであるミノタウロスがアートと関わっているのである。

<ミノタウロスのイメージとアート>
ピカソはミノタウロスのイメージを自分と重ね何度も描いている。
荒ぶる欲望をぶつけ吐き出し破壊すると同時に、種をまき生産し豊穣と豊かさを与える両義的(アンビバレント)な存在としてのミノタウロス。
ここでもまた違う形でだが、ミノタウロスのイメージがアートと関わっている。(2)
(2) http://blog-imgs-43.fc2.com/1/5/g/15gym/Picasso41.jpgより

祇園祭りと牛頭天王
牡牛の神とアートが関わっている例は日本にもある。
ここでいきなり日本の芸能空間に飛ぶが、千年以上つづく京都祇園祭り(3)の祭神は牛頭天王である。(4)
(3)祇園御霊会細記 鈴鹿文庫HPより
(4)牛頭天王坐像 堺市 中仙寺

牛頭天王はインドから入ってきた外来神だが日本ではスサノオの尊と習合している。やはり、破壊と豊穣の神である。(5)
(5)牛頭天王とスサノオの尊の習合神 祇園大明神(Wikipedia)
牛の頭をもったキメラの源流を追うと、インドの踊りの神ナタラージャに行きつく、ナタラージャは炎の中で踊る神だ。破壊と生産の象徴である炎、その中で踊り続けるナタラージャ。(6)
ナタラージャは世界の創造と破壊の神シヴァ神の別の姿(キメラ)でもある。
(6)ナタラージャとして踊っているシヴァ神(Wikipedia)
燃えあがる炎の鋭角と牡牛の角と祇園祭りの山鉾の尖った鉾(ほこ)にも注目。

ミノタウロスー牛頭天王ーナタラージャーシヴァ神。この繋がりはなんだろうか。
どれも生産、豊穣をもたらす種、力を持つとともに破壊、破滅を引き起こす両義的な存在である。人はこのような両義的な存在となんとかコミュニケーションを取ろうとパフォーミングアートを介在させてきたのではないか。

人間はアートというアウトプットの手法を両義的な神と対話する手段として古くから用いてきた。
二項対立を仲介する為に、パフォーマンスとしてコーラで繰り広げられる舞踏。それは弁証法的に世界を捉えるロジックがつくり出す世界認識とは位相の異なる、身体と場を伴ったもう1つの世界との交わり方である。

<レヴィ・ストロース『野生の思考』>
文化人類学者レヴィ・ストロースは『野生の思考』の中で、神話的思考と科学的思考を対比し、アートの本質とはなにかを紐解いてみせる。

『野生の思考』より引用
『美術(芸術)が科学的認識と神話的呪術的思考の中間にはいることを簡単に述べておこう。周知のごとく、芸術家は科学者とブリコロルール(器用人)の両面をもっている。職人的手段を用いて彼はあるオブジェを作り上げるが、それは同時に認識の対象(オブジェ)である。(ブリコルールはものと『語る』だけでなく、ものを使って『語る』。)


さきに記したごとく、科学者とブリコルールの相違は、手段と目的に関して、出来事と構造に与える機能が逆になることである。科学者が構造を用いて出来事を作る(世界を変える)のに対し、ブリコルールは出来事を用いて構造を作る。』


レヴィ・ストロースが語るブリコルールのイメージこそ、原初的技術・アルキテクトンを使い自由自在にあらゆる物を創造するが、どこか不完全な造物主・ダイダロスそのものではないか。
そして人は芸術という科学的思考と神話的呪術的思考の両側面をもつ方法で、不確かな世界と関わってきたのだではないか。

<貞観の大地震>
祇園祭りに話を戻すと、祭りの起源は今から千年以上前、貞観の時代の大災害によって引き起こされた飢饉、疫病による大量の死者への弔いと疫病消除を願ったためであったという。古い話のようで実は、災害という観点ではまったくもって過去の話としてはかたづけられない。なぜなら、貞観といえば2011年3月11日に発生した東日本大震災によってふたたび知られるようになった貞観の大地震の時代である。

科学者はその土地が一番地震の確率が低いという理由で原発を建設した。しかし人々は1000年前の大地震の記憶を、その土地が危険であるという記憶を祭りというアートの方法で継承し続けてきていたのだ。
祭り本来の意味を忘れ、神話的思考を捨て科学万能の時代を生きる私たち。

<科学とアートのおもしろい関係>
科学的データに基づき安全であるはずとされた土地に原発をつくった今の時代に対して、千年以上も前の人々は祭りというパフォーミングアートの手法でその記憶を末代まで伝えようとした。もし、科学者がその祭りの起源を思い、なぜそれが廃れる事なく今も行われているかという事に憶いをめぐらしていたら、、。
アートと科学の思考はもう少し面白い関係になるのにと思う。

翻って、じゃあ私たちはあの3.11の記憶を千年後の人々にどのような形で伝え続けていけるのだろうか?とも思う。千年前の人々が行ったように祭りにするのか、科学的データをアーカイブにしておくのか、、。とても難しい問題だ。

ただ、毎年祇園祭りの時期になると、3.11の経験以降この事を考えるようになっている自分がいるのは確かだ。災害と祭り=超越的なるものとパフォーミングアート。ここでもこの2つはやはり関係している。


レヴィ・ストロースが語るように科学と神話の両側面をもったアートの思考でもう一度世界を見つめなおすことはできないだろうか?




参考文献
レヴィ・ストロース『野生の思考』
磯崎 新『造物主義論ーデミウルゴモルフィスム』
長谷川 『神殿か獄舎か』

2017/02/15

セノグラフィーってなに?<歴史1>

『セノグラフィーの原初』

セノグラフィーとは通常”舞台美術”と訳される。しかし、セノグラフィーという言葉には舞台という言葉は含まれていない。Scenography(セノグラフィー)、英語にすればScene+Graphic。 ”状況や場や景を視覚や聴覚といった知覚を通して色や形、空間的に把握すること”となる。この言葉、実は舞台の上のみに留まらずとても広い領域に関わっている。セノグラフィーとは何か?

これから何回かに渡り、セノグラフィーについて探っていきたい。

<セノグラフィーの原初>
様々な文明や文化にセノグラフィーの原初を探すことができるが、セノグラフィーをパフォーミングアート等における”空間や身体、言葉の関わりをシーニックに捉える事”と定義した上でその原初を探ってみる。
まず、神話の世界の話ではあるが、古代ギリシャにおいては舞踏の為のエリアのデザインからセノグラフィーは始まったと考えられている。
それはダイダロスが創ったとされる。(1)
(1)ダイダロスとイカロス
Daedalus constructs wings for his son, Icarus, after a Roman relief in theVilla Albani, Rome (Meyers Konversationslexikon, 1888). Wikipediaより

ダイダロス。ギリシャ神話の登場人物で最初のアーキテクトとされている。
アーキテクト=建築家と訳されるがここでは原初の技術=アーキテクトンを使い様々なものを創り出した発明家・職人と考えたい。ダイダロスは様々なものを発明したが、一番有名なのは息子イカロスの為の翼だろう。そしてこの翼に関連してミノタウロスを閉じ込めた迷宮(ラビリントス)も設計している。

舞踏の為のエリアの誕生には、ダイダロスを巡って不思議といくつかの神話が関わっている。その神話の一部はさらに驚くことにギリシャのみならずインド、日本の芸能の神とも関係している。その詳細は後の回にゆずるとしてここではなぜ舞踏のためにわざわざエリアをつくり、自然の領域と区別する必要があったのかを考えたい。

<コーラとは?>
建築批評家 アルベルト・ペレス-ゴメスはこのダイダロスが創り出した舞踏の為のエリアをコーラ(Chora)であるとしている。
コーラとは何か?
コーラという概念は、多くは哲学の文脈で語られる非常に難解なものだが、プラトンは『ティマイオス』においてコーラとは”あらゆる生成のいわば養い親のような受容者”であると言っている。哲学に踏み込む場でなないので深追いはさけたいが、ジャック・デリダは『コーラ/プラトンの場』で"コーラは、「これでもなくあれでもないようにみえ、同時にこれでありかつあれであるようにみえる。」あらゆる概念的同一性を逃れ去る、”場なき場”であると定義する。
プラトンの語るコーラ。それは、自然のままの”場所”を意味するトポスとは違う意味での”場”である。
”生成を可能にする養い親のような場”コーラ。
ただ踊るだけであれば原っぱだって砂の上だってどこでもいいはずだ。しかしわざわざ自然のままの場所と舞踏の場を区別することが必要とされたわけだ。
なぜだろうか?

<演劇の誕生>
アルベルト・ペレス-ゴメスによれば、演劇(パフォーミングアート)の原初はバッカス(ディオニッソス=酒神)への歌い手による即興の讃歌であったという。
それは”言葉は跳躍、天啓の踊りを意味し、原型は人生を呼び戻すこと、躍り上がること、呼び上げることであり、歌や踊りのように『演じられた行為』(dromena)の形態を持っていた。”という。

そしてその形式であるdoromenonが演劇に発展していく初期の段階においては、演じられた場はのちに舞台(logeion/ロゲイオン)として発展する場ではなく、コロスがいた場=オルケストラ(Orcchestra)においてであった。

ギリシャ劇場の形態は時代により様々な要素が加わり変更されていくが、その原初の形をここでは創造してみよう。

ギリシャ演劇の初期においては、俳優は存在せず舞台はまだなく、コロスのいる場のみがあった。そこでは言葉と身体が不可分にあった。コロスとは後の合唱(コーラス)へと受け継がれると共に、もう1つはコレオグラフィー(Choreography=振り付け)の語源でもある。コロスは2つの側面を持っていた。1つは群衆による発語、合唱であり、もう1つは群舞である。そしてそれは超越的なるもの=神と対話するためのアート行為であった。

<コーラとコロスとコレイア>
最初に生み出された舞踏の為のエリアをコーラとすれば、コーラにおいて踊りや演劇的行為=パフォーミング・アートを行った人々はコロスだ。こちらは今も群舞や集団という意味で演劇用語として使われている。また、この言葉は音楽用語で合唱を意味するコーラスの語源ともなっている。
そして、コーラ(Chora)、コロス( Chorus)と関係の深いコレイア(choreia)はサークルのダンスを意味し、これはコレオグラフィー(Choreography=振り付け)の語源だ。

ルネサンス以降定着するScenographyという発想。Choreographyとは対の概念であり、
こう考えるとこの二つの概念は古代ギリシャにおけるパフォーマンス空間の誕生にその起源を読み解くことができる。踊り、演じる場=コーラが原初のセノグラフィーでありその場に現象として現れる身振り=ダンスがコレイアとなる。

<劇場と神殿>
古代ギリシャの円形劇場は必ず神殿の近くに建造されている。音響効果に優れていることで知られているエピダウロスの円形劇場(2)と医神アスクレピオスの神殿。
(2)エピダウロスの劇場BC4cポリュクレイトス設計(ITARUS)
アテネ、アクロポリスの丘の麓にあるディオニッソス劇場(3)(4)。
(3)パルテノン神殿下にあるディオニッソスの劇場(ITARUS)


(4)アテネアクロポリスの丘のスケッチ(ITARUS)
右下の斜面がディオニッソスノ劇場
デルフォイの神域にある円形劇場(5)等々。
(5)デルフォイの神域 アポロン神殿上の劇場(ITARUS)

神殿と劇場が必ずセットで存在する。古代ギリシャ人にとってパフォーミング・アートは神という超越的なるものへの讃歌であり、コミュニケーションする為の重要なイベント・祭儀であった。 

<超越的なるものとのコミュニケーション>

これは日本の神楽の舞が舞殿において、神に奉納されるのと似ている。超越的なるものと出会うために日常自然から区別し整えられた非日常的な場。それがコーラなのではないか。人が原初的な技術=アーキテクトンを使いデザインした場、それがギリシャにおけるセノグラフィーの原初なのではないか?

<空なる場・コーラ>
原初のパフォーマンスの場=コーラがどのような形であったか詳しく描かれた文献を知らないので想像でしかないが、古代ギリシャの円形劇場のオーケストラから考えるに、コーラは踏み固め整地された直径20mくらいの完全な円(サークル)の空間ではなかっただろうか?
プラトンがコーラは”あらゆる生成のいわば養い親のような受容者”であると言っているように、それ自体では現れず、内にパフォーマンスが出現する時にのみ了解される場、ポジである徴(しるし)が現れるとそれとなく認知されるネガのような輪郭。子宮のように受容により生成を可能とする”空なる場”。それがコーラなのかもしれない。

自然と隔絶し始めた人間は、それでも超越的なるものと邂逅する為に、動物のように知覚を研ぎすまし言葉と身体の知をもって世界に在らんとする為に創造した場。
古代ギリシャにおいてセノグラフィーはこの”空なる場”のデザインから始まったのではないか。

参考文献
『The Space of Architecture』(『建築の現象学』)、アルベルト・ペレスーゴメス、a+u建築と都市,1994
『劇場の構図』清水 裕之著、鹿島出版会、1985
『ウイトルウイウス建築書』ウイトルウイウス著、東海大学出版、1979
『劇場/建築・文化史』S・ティドワース著、早稲田大学出版会、1986
『A Concise History of the Theatre』Phyllis Hartnoll、1968、THAMES AND HUDSON

2017/02/14

テストです。

NPO法人 S.A.I.(Scenographic Art Institute/セノグラフィック アート 研究所)で不定期に行っている、セノグラフィーの研究会『アカデミア』。 それに関連する記事を載せていこうと思います。 興味のある方はお立ち寄りください。
2017/02/14