2017/02/15

セノグラフィーってなに?<歴史1>

『セノグラフィーの原初』

セノグラフィーとは通常”舞台美術”と訳される。しかし、セノグラフィーという言葉には舞台という言葉は含まれていない。Scenography(セノグラフィー)、英語にすればScene+Graphic。 ”状況や場や景を視覚や聴覚といった知覚を通して色や形、空間的に把握すること”となる。この言葉、実は舞台の上のみに留まらずとても広い領域に関わっている。セノグラフィーとは何か?

これから何回かに渡り、セノグラフィーについて探っていきたい。

<セノグラフィーの原初>
様々な文明や文化にセノグラフィーの原初を探すことができるが、セノグラフィーをパフォーミングアート等における”空間や身体、言葉の関わりをシーニックに捉える事”と定義した上でその原初を探ってみる。
まず、神話の世界の話ではあるが、古代ギリシャにおいては舞踏の為のエリアのデザインからセノグラフィーは始まったと考えられている。
それはダイダロスが創ったとされる。(1)
(1)ダイダロスとイカロス
Daedalus constructs wings for his son, Icarus, after a Roman relief in theVilla Albani, Rome (Meyers Konversationslexikon, 1888). Wikipediaより

ダイダロス。ギリシャ神話の登場人物で最初のアーキテクトとされている。
アーキテクト=建築家と訳されるがここでは原初の技術=アーキテクトンを使い様々なものを創り出した発明家・職人と考えたい。ダイダロスは様々なものを発明したが、一番有名なのは息子イカロスの為の翼だろう。そしてこの翼に関連してミノタウロスを閉じ込めた迷宮(ラビリントス)も設計している。

舞踏の為のエリアの誕生には、ダイダロスを巡って不思議といくつかの神話が関わっている。その神話の一部はさらに驚くことにギリシャのみならずインド、日本の芸能の神とも関係している。その詳細は後の回にゆずるとしてここではなぜ舞踏のためにわざわざエリアをつくり、自然の領域と区別する必要があったのかを考えたい。

<コーラとは?>
建築批評家 アルベルト・ペレス-ゴメスはこのダイダロスが創り出した舞踏の為のエリアをコーラ(Chora)であるとしている。
コーラとは何か?
コーラという概念は、多くは哲学の文脈で語られる非常に難解なものだが、プラトンは『ティマイオス』においてコーラとは”あらゆる生成のいわば養い親のような受容者”であると言っている。哲学に踏み込む場でなないので深追いはさけたいが、ジャック・デリダは『コーラ/プラトンの場』で"コーラは、「これでもなくあれでもないようにみえ、同時にこれでありかつあれであるようにみえる。」あらゆる概念的同一性を逃れ去る、”場なき場”であると定義する。
プラトンの語るコーラ。それは、自然のままの”場所”を意味するトポスとは違う意味での”場”である。
”生成を可能にする養い親のような場”コーラ。
ただ踊るだけであれば原っぱだって砂の上だってどこでもいいはずだ。しかしわざわざ自然のままの場所と舞踏の場を区別することが必要とされたわけだ。
なぜだろうか?

<演劇の誕生>
アルベルト・ペレス-ゴメスによれば、演劇(パフォーミングアート)の原初はバッカス(ディオニッソス=酒神)への歌い手による即興の讃歌であったという。
それは”言葉は跳躍、天啓の踊りを意味し、原型は人生を呼び戻すこと、躍り上がること、呼び上げることであり、歌や踊りのように『演じられた行為』(dromena)の形態を持っていた。”という。

そしてその形式であるdoromenonが演劇に発展していく初期の段階においては、演じられた場はのちに舞台(logeion/ロゲイオン)として発展する場ではなく、コロスがいた場=オルケストラ(Orcchestra)においてであった。

ギリシャ劇場の形態は時代により様々な要素が加わり変更されていくが、その原初の形をここでは創造してみよう。

ギリシャ演劇の初期においては、俳優は存在せず舞台はまだなく、コロスのいる場のみがあった。そこでは言葉と身体が不可分にあった。コロスとは後の合唱(コーラス)へと受け継がれると共に、もう1つはコレオグラフィー(Choreography=振り付け)の語源でもある。コロスは2つの側面を持っていた。1つは群衆による発語、合唱であり、もう1つは群舞である。そしてそれは超越的なるもの=神と対話するためのアート行為であった。

<コーラとコロスとコレイア>
最初に生み出された舞踏の為のエリアをコーラとすれば、コーラにおいて踊りや演劇的行為=パフォーミング・アートを行った人々はコロスだ。こちらは今も群舞や集団という意味で演劇用語として使われている。また、この言葉は音楽用語で合唱を意味するコーラスの語源ともなっている。
そして、コーラ(Chora)、コロス( Chorus)と関係の深いコレイア(choreia)はサークルのダンスを意味し、これはコレオグラフィー(Choreography=振り付け)の語源だ。

ルネサンス以降定着するScenographyという発想。Choreographyとは対の概念であり、
こう考えるとこの二つの概念は古代ギリシャにおけるパフォーマンス空間の誕生にその起源を読み解くことができる。踊り、演じる場=コーラが原初のセノグラフィーでありその場に現象として現れる身振り=ダンスがコレイアとなる。

<劇場と神殿>
古代ギリシャの円形劇場は必ず神殿の近くに建造されている。音響効果に優れていることで知られているエピダウロスの円形劇場(2)と医神アスクレピオスの神殿。
(2)エピダウロスの劇場BC4cポリュクレイトス設計(ITARUS)
アテネ、アクロポリスの丘の麓にあるディオニッソス劇場(3)(4)。
(3)パルテノン神殿下にあるディオニッソスの劇場(ITARUS)


(4)アテネアクロポリスの丘のスケッチ(ITARUS)
右下の斜面がディオニッソスノ劇場
デルフォイの神域にある円形劇場(5)等々。
(5)デルフォイの神域 アポロン神殿上の劇場(ITARUS)

神殿と劇場が必ずセットで存在する。古代ギリシャ人にとってパフォーミング・アートは神という超越的なるものへの讃歌であり、コミュニケーションする為の重要なイベント・祭儀であった。 

<超越的なるものとのコミュニケーション>

これは日本の神楽の舞が舞殿において、神に奉納されるのと似ている。超越的なるものと出会うために日常自然から区別し整えられた非日常的な場。それがコーラなのではないか。人が原初的な技術=アーキテクトンを使いデザインした場、それがギリシャにおけるセノグラフィーの原初なのではないか?

<空なる場・コーラ>
原初のパフォーマンスの場=コーラがどのような形であったか詳しく描かれた文献を知らないので想像でしかないが、古代ギリシャの円形劇場のオーケストラから考えるに、コーラは踏み固め整地された直径20mくらいの完全な円(サークル)の空間ではなかっただろうか?
プラトンがコーラは”あらゆる生成のいわば養い親のような受容者”であると言っているように、それ自体では現れず、内にパフォーマンスが出現する時にのみ了解される場、ポジである徴(しるし)が現れるとそれとなく認知されるネガのような輪郭。子宮のように受容により生成を可能とする”空なる場”。それがコーラなのかもしれない。

自然と隔絶し始めた人間は、それでも超越的なるものと邂逅する為に、動物のように知覚を研ぎすまし言葉と身体の知をもって世界に在らんとする為に創造した場。
古代ギリシャにおいてセノグラフィーはこの”空なる場”のデザインから始まったのではないか。

参考文献
『The Space of Architecture』(『建築の現象学』)、アルベルト・ペレスーゴメス、a+u建築と都市,1994
『劇場の構図』清水 裕之著、鹿島出版会、1985
『ウイトルウイウス建築書』ウイトルウイウス著、東海大学出版、1979
『劇場/建築・文化史』S・ティドワース著、早稲田大学出版会、1986
『A Concise History of the Theatre』Phyllis Hartnoll、1968、THAMES AND HUDSON