2019/03/01

セノグラフィー ってなに?<スケッチ散歩5>関内スケッチ散歩

関内スケッチ散歩
2018/06/23

小雨降る中ワークショップはスタートした。
横浜・関内地区。
防火帯建築である伸光ビル301号室のリノベーション計画。
「部屋を育てるアートプロジェクト」として約3年にまたがるNPO法人SAIのアトリエを作り育てるプロジェクトの始まりだ。
今回はそのプレワークショップ。

SAIの杉山がナビゲーターとなり、横浜関内を拠点に活動している建築家・浅沼秀治氏をゲストに迎えてのスケッチ散歩ワークショップ。

参加者は学生が5名、大学を卒業したての六尺堂メンバーが1名、常盤ビル関係者が3名に、我々SAIスタッフ6名と記録で関わってくれる事になった"もてスリム"こと石神くんの総勢15名+幼児1名でのワークとなった。

前日からSAIの袴田くんと私で、長い間使われていなかったこの301号室のチリと雑菌を除去すべく、若干塩素中毒になりながらカビとショウジョウバエの地獄と化したトイレ掃除・キッチン周りの除菌を行う。仕上げにバルサンを焚いて一日おく。ダニやゴキブリにはやはりバルサン。
以前部屋を下見させてもらった時のカビ臭さと、なんだか身体が痒くなる感じは一掃できた、はず。

当日10時からスズケン(鈴木健介)と杉山がくる。だんだんと人が集まり11時までには濱崎くん、中村さん&ななちゃん2歳が参戦。
土足で上がる畳に違和感を感じながら、20年近く溜まった部屋のチリを拭いてゆく。

この湿度は雨のせいばかりでもなさそうだ、海の近く、埋め立てられた関内の地層、地理的要因とも関係しているはず。関内は蚊が多いという。

13時からワークショップがスタート。
杉山によるこのプロジェクトに関する概要説明のあと、スケッチワークショップの意義について考現学の今和次郎、吉阪隆正、丸山欣也先生を引き合いにセノグラフィーと景についてスライドで解説。



続いてゲストの浅沼氏が作ってくれた関内の成り立ちがわかる数種類の地図の資料を見ながら地域についてのイメージを膨らませる。
右上の写真は太平洋戦争 空襲の後の横浜・関内

そして、今回建築の視点からの重要なマップ。防火帯建築の分布図だ。



関内防火帯建築マップ 火災時の延焼を防ぐために交差点の角にコンクリートの建造物を配置した都市計画
x
































午後14時すぎ、いざスケッチ散歩へ!

ルートは関内の中央を東西に走る弁天通りの西の端、弁天橋まで行って関内の語源になった現在の関内駅の高架下にある川と橋と関所の痕跡を見て、フリータイムとなった。

この時点で15時、残り1時間で2〜3枚のスケッチと最低3〜4くらいの気になるポイントを採集しに皆、雨の中に散っていく。


私は先程皆で歩いたとき初めて遭遇した景色、弁天橋の船溜りからみる高層ビルと建造中の新市庁舎の鉄骨とクレーンが忘れられずそこに戻った。

川に架かる歩道橋の下で雨宿りをしながらスケッチ。
なんだか、30年前、21歳の時旅行した上海のバンドを憶い出した。
描いている内に遠い記憶が重なってくる。スケッチ散歩の醍醐味の一つ。
視覚と身体感覚が沈殿していた過去の記憶をかき混ぜる。


船だまから弁天橋を望む

極東の汽水域、19世紀の上海と横浜。規模は全くことなるが役割は似ている。ヨーロッパの列強による帝国主義が席巻した19世紀、小さな漁村だった横浜にも上海のような租界が出来上がる。
関内エリアはまさにその中心。
長崎の出島のように江戸期に埋め立てされた整然とした区画が今もいきている。さらに関東大震災、太平洋戦争という二度の廃墟化と米軍による接収時期を乗り越えて、それらの時層が重なり現在を作り出している。

関内の人に会うとよく聞くのが、ここはそうは言っても高々150年しか歴史がない、みな他所から来た人が作った街なんだ。という話し。
港町特有の来るもの拒まず、去る者は追わずのイキな精神が今も息づいている。

開港を迫られ急ごしらえで港を建設し税関所を作り、物流・金融の街として外国商社や銀行が支店を構える。西洋の文物を真似て、擬洋風という様式ができあがる。
通訳として連れてこられた中国人が中華街をつくる。
150年前日本が初めて欧米の帝国主義、資本主義と出会ったのがここ関内なのだ。

そんな事をつらつらと考えながら弁天橋から汽水域の港湾地区を挟んで、みなとみらいの超高層ビル群を眺めてスケッチをする。

6月の雨は降り続けている。

船溜りに一艘の船が戻ってきた。
新市庁舎建設のクレーンと建設現場は黒い塊となって槌音を響かせている。
弁天橋の上にはせわしなく人と車が行き交っている。
ランドマークタワーの上層階は遠くの雨空に消えている。


先ほどスケッチした場所を写真でも押さえる


今はいつだろう?
手際よく船を停泊させたあの人は、150年前からそれを繰り返していやしまいか。
港にはつい先程、異人とまだ見た事もない西洋の文物を乗せた蒸気船が入って来たかもしれない、、。
雨に打たれ続けている横浜・関内の原風景を観た気がした。

極東の外れの小さな漁村だった横浜の21世紀の風景。
川と海を物流と交流の拠点とするため船や橋でつなぎ、今は空とこのちっぽけな日本列島を所狭しと高層ビルが繋ぐ。ここは空と海と川と陸、日本とヨーロッパ、島と大陸の結節点だ。
横浜がこの150年で担ってきた人と人、モノと場所、環境との関わりの様々なイメージを凝縮させたゲニウスロキがこの船溜りの風景にはある。

西洋と出会った横浜の原風景。
関内弁天橋の船溜りのたもとで
その景色は2018年6月の雨に打たれている。


アトリエの近くに戻ってきてもう一枚スケッチを描く。常盤ビルと伸光ビルの空隙。アジアの裏路地のようなパイプや雑然としたオブジェクトがむき出しになり、道路とは違うセミパブリックな空間を作り出しいる。どこからか料理の匂いがしてきそうなそんな妄想に狩られる。(スケッチ図)
トキワビル2F廊下からの空隙を眺める
16時。
このワークショップのもう一つの重要なワークである妄想地図作りの為のマッピングを行う。
スケッチ散歩で発見したもの・ことを言葉にして参加者がマッピングしていく。


スケッチや写真で採集してきた要素を、色分けしながら関内の地図の上に皆でマッピングしていく。
構築物、サイン、出来事、自然物、オブジェクト(小物)、風景など。
空間を歩きながら、参加者がどのような視点で関内を見つめたかを可視化する。


ぱっと見、構築物系(赤色のふせん)が多い。また、関内のちょうどこのビルのエリア近くに見どころを多く発見したようだ。

参加者に自己紹介してもらいながら、発見した要素をスケッチと写真でプレゼンテーションしてもらう。





18時前にワークショップは無事終了。

何度も横浜は訪れているが、関内の見え方が変わった気がする。

今回のこのワークショップで体験し身体的知覚から発見した要素を“記憶の地図”や“身体的知覚マップ”として何とか表現出来ないか?

『部屋を育てるアートプロジェクト』次の段階で是非その方法を探いきたい。