2013/08/21 の記録より
善通寺境内 西門と山 |
真夏の午後、2日間に渡り四国学院の生徒達と、善通寺をデザインサーベイした。セノグラフィー(舞台美術)の視点で、古いお寺や道にある気配、町独特の色や匂いを探しスケッチする。スケッチからその町のデザインや成り立ち、果ては文化、歴史までを探ってみる。
<スケッチ散歩ワークショップ>
NPO法人 S.A.I.ではスケッチ散歩ワークショップを不定期であるが、色々な街で行っている。江ノ島や丹沢大山の阿夫利神社、品川宿等々。
街を歩き肌で街の雰囲気や空間を感じる、写真に撮るのもいいが、スケッチというちょっと時間のかかる行為をすることで対象物の記憶を体に刻みこむ。
<なぜスケッチなのか?>
なぜスケッチなのか、、。 20世紀の建築の巨人、ル・コルビジェの弟子であり、考現学の祖である今和次郎の流れを汲む建築家・都市計画家でもあった吉坂隆正(1)がこんな言葉を残している。
(1)建築家 吉坂 隆正 |
『写真では、相互の寸法的なものをより正確に記録し、撮影者が心にとどめなかったものまで記録してしまう便利さはある。だが一つ一つ手で写していく間の対象物との心の対話はスケッチには及ばな い。その対話の中から現に今、目の前にしている対象物は、そのもの自体をこえてさまざまな話題を展開するのである。・・・』
吉坂隆正今和次郎集4『住居論』解説より
日常の見慣れた町や風景をスケッチする。普段とはちょっと違った創作者の視点で捉えてみる。途端に日常の風景は様々なコトバで私たちにその魅力を語り始める。
<スケッチ散歩へ>
さあ、いざスケッチに出発。 一日目は、四国学院から歩いて10分もかからない弘法大師、空海が生まれた善通寺の境内をスケッチする。丸い輪を空中に抱いている不思議なカタチの灯籠を発見。生徒と共にデザインサーベイの肩慣らしとして、この灯籠のスケッチと採寸を行う。 勝手に善通寺灯籠と名付ける。(2)
(2)善通寺で見つけた面白い形の灯籠、採寸もしてみる(ITARUS) |
セノグラフィーのスケッチは、気になった風景やモノを探しそれをスケッチする事により、 その秘密に迫るのが目的だが、空間や建築、造形物の寸法や比率をメジャーを使って実際に測り、その数的感覚を肌で捉え、立面や平面、断面として描き出すことにより、デザインし造形する力を養う意味もある。
<自然と人のワザのコラボレーション>
善通寺の境内や参道を歩いていて気づいた事がある。参道から眺めるとお寺の遥か先に、山が見えるのだが、その重なり具合が参道のラインから見ると絶妙なのだ。(0)
(0)善通寺の参道からみた門と山並みの美しい重なり(ITARUS) |
境内の西に面して建つ中門でも、やはり先程の山が 関係しているようだ。どうも山並みが一番美しく見える位置に門が築かれている。門の屋根瓦の緩やかなライン、軽やかに宙に浮いたようにデザインされた楼閣、袴の裾のような微妙なカーブのフォルムをもつ開口部。まずは細部をよく観察しながらスケッチしていく。(3)
(3)善通寺 西門(ひぐらし門)(ITARUS) 見越しの松が見事にフレームをつくる |
しかし、この門の魅力はどうもそれだけではない。クローズアップした視点を今度は広げてみる。大きく上空から枝を降ろしている見越しの松とともに、この門は山水画のように美しく重なった山並みのラインに見事なアクセントを与えている。スケッチに描くと、自然が 作り出した遠くの山並みと人の手により植えられ造形された二本の松と門が、美しい関係を作り出しているのが良くわかる。(4)
(4)西門と山のカタチが美しく重なる(ITARUS) |
自然と人のワザの見事なコラボレーション。環境や地形を読み解き、大地と人との関わりを感覚全てを使って発想した古人の知の在り方に驚かずにはいられない。空海のように言葉の根底にある深い感覚を伴いながら自然と対話する事が出来た先人たちの術を学びたいと思う。
しばし、暑さの中でスケッチする。言葉にならない妄想が空間にさらに広がっていく。
空海が子供の頃に走り回ったであろうこの讃岐平野。空海の先祖である佐伯氏の住居があった善通寺周辺。ここはどうもこの山たちとの関係で定められ、造られたのではないだろうか。太陽の方角と海と山の位置、風の道や天からの雨と大地の地味。ゲニウス・ロキ(地霊)と深い関わりを持って捉えられていた日本の原風景を想う。
<ワークショップ2日目>
二日目は、駅の近く、門前町である善通寺の碁盤の目を不思議と斜めに切り取る細い道を散策する。地元に詳しい生徒はこの辺りに古い街並みが残っているはずだという。いざ散策開始。
街並みを見て始めはそんなに古くはないなと高を括っていたが、歩いているうちになんとなく肌で感じてくる不思議な気配がある。道の絶妙な幅や、緩やかなうねり、見え隠れする街並みや田園と遠くの山並みのおもしろい関係。歩いていると時々、山水画のように見事な近景、中景、遠景をなす景色が現れては消える。
<斜めに走る道>
この斜めの道はどうもとても古そうだ。なぜか?大きくまっすぐな道に所々切り取られてい
るが、確かに繋がっているからだ。まっすぐな道の方が古ければわざわざこのような斜めの道は作らない。
駅前にある大きな地図で確認する。この道は、どうやら昨日スケッチした善通寺のランド マークとなる山に平行に走っている。地図から目を上げ遠く山の配置を確認する。開けた田園の向こうに善通寺の伽藍配置と関係していたポッコリとした3つの山が奇麗に並んでみえる。
そしてもう一度地図をみる。次に気になったのは、地図上に散見される溜め池の配置だ。隣まちの池のあたりから丸亀方面の池までを、この道が繋いでいるのがわかる。この斜めの道と平行に走る何本かの切れ切れのミミズのような道も、いにしえの人が歩いた痕跡のように地図上に散見される。
<水路と山並み>
生徒がスケッチした水路を見た時にさらに気づく。この道はどうもうねるように走る水路の流れとも平行のようだ。水の少ない讃岐では、古来溜め池が多く造られてきた。空海が作った満濃池は、特に有名だ。この斜めの道は、讃岐の動脈となる水の道なのではないか。
山並みに平行に走り、平野に豊かさをもたらす水を湛えた池を繋ぐ農耕文化の道。
讃岐平野に遺された歴史的な素晴らしい遺産ではないか。(5)
(5)山並みと水路と道と池の関係に注目 |
善通寺の寺の軸線の基準を創り出している山。それに沿い、池を繋ぐように走る斜めの古 道、讃岐の水の道。途中、この細い道がお遍路道であるというサインも見つけた。善通寺の美しい自然の背後にある重層した風土と文化。古来から自然と深い関わりをもっていた人々の日々の営みの美しいシーン=セノグラフィーがスケッチする手と対象物の間に、イメージとなって浮かび上がってくる。
夏の午後、スケッチ散歩をしながら、誘われるように分け入ったこの古道には、さらに様々なセノグラフィーが遺されていた。
<忘れさられた一角>
善通寺の駅の近く、この細く斜めに走る道がさらにうねるように曲がっていくあたり、そのカーブに沿って建てられた、家屋よりも立派な築地塀がひと際目をひく。漆喰の白の上に落ちる隣家の影のカーブと呼応して、おもしろい奥行きと陰影を造り出している。同じ視点で描いていた生徒のスケッチには猫や人影、植物が目につくのに、私のスケッチにはそれが抜け落ちている。改めて同じものを観ているはずの個人の視点の違いを、スケッチは写真とは異なり見事に語るのだなあ、と感じる。(6)
(6)曲線を描く築地塀(ITARUS) |
その先には、見上げるとひっそりと忘れられたように佇む木造3階立、突き出た屋根に無数のアンテナが立つ蠱惑的なバルコニーをもつ昭和初期の建物が現れる。名前は駅前荘。もう誰も住んでいないようだ。(8)
(8)細い曲線の路地の奥にある木造3階立ての駅前荘(ITARUS) |
狭い路地の空隙には忘れられた草叢の細いドブの先に、深緑色の小さな階段がのぞいてる。 水と緑と光のコントラストが、忘れられた場所にノスタルジックな魅力を与えている。 一人の生徒が熱心にこれをスケッチしていた。(9)
(9)細い路地の隙間、忘れられた昭和の気配(ITARUS) |
逃げ場の無い、瀬戸内の夏の日差し。スケッチする身体をじりじりと焦がしていく。 細くうねる讃岐の水の道に導かれさらに奥へ。少し開けたあたり、古い農家を発見。農家の美しい屋根の輪郭に切り取られ、田んぼの端がみえる。その先には水を湛え青々とした稲が風に揺れる田園が遠くまで広がっている。そのさらに遠く、遠景として善通寺の山並みが見える。それらを背にした農家の黒い陰翳のある瓦屋根に、真夏の陽炎がゆれていた。(10)
(10)古民家と遠くに讃岐平野と山並み(ITARUS) |
2013年8月6日、午後3時をまわった辺り。蝉時雨、真夏の讃岐平野。善通寺のスケッチワー クショップで発見した美しいセノグラフィー。