<斎場御嶽を訪ねて>
2017年2月23日
沖縄の演劇人が劇場を創るという。そのスタディー・ワークショップの為に沖縄に向かった。そのおり初めて斎場御嶽を訪れた。空間の美しさ静謐さに触れ心が動かされた。セノグラフィーの視点から斎場御嶽の空間の魅力を考えてみる。
<世界が重なる神秘の場>
山と海が出会う。
そしてさらに真東の方角、神の島・久高島の水平線の向こうに海から登る太陽が重なる。
世界が集い重なる瞬間を作り出す神域の布置。その見事なシーニックデザインに驚愕する。
斎場御嶽を始めて訪ねた。
時おり小雨がちらつくどんよりとした曇りの日。
連れて行ってくれた沖縄の演劇人、安和 学治さんは二月にしては寒い日だという。
沖縄特有の緩やかなアップダウンの地形を何度も越え、車から時おり見える海は灰色をしている。
中年男二人を乗せた軽自動車。
東海の小島の磯の白砂に
我泣きぬれて
蟹とたわむる
なんだかわからない。啄木の詩が頭に浮かぶ。
<身体に刻み込む体験>
斎場御嶽を始めて訪ねたその帰り道、歩きながらこの不思議な体験の気配を考えていた。
以前どこかで出会った事があるような。
御厨人窟で修行していた空海の口に金星が飛び込んできたという逸話を空海が残している。天空と大地と身体が重なった瞬間。時空の境に身をさらす空海。
(1)御厨人窟の入り口 巨岩の裂け目(ITARUS) |
(2)御厨人窟の内側から海を望む(ITARUS) |
或いはイタリア・ シチリアで訪れた巨岩の隙間”ディオニュソスの耳”を訪ねた時の気配に似ている。(3)
(3)ディオニッソスの耳(ITARUS) |
似たような懐かしいような。それでいてそれらのどの体験もそうだったように、それはどことも似てない特別な体験だ。
巨大な岩とその隙間に吸い込まれるような感覚。
風を感じ、岩が静かに語りかけるような気配。
空気は澄み、沖縄特有の常緑樹の木々が揺れ、天空が大地と密かに結界をつくる。
斎場御嶽を訪ねること。それは世界を身体に刻み込む体験だった。
(5)投入堂へと続くかずらと岩の道(ITARUS) |
<斎場御嶽への道>
斎場御嶽へと向かう道は緩やかなカーブを描いている。
その先、緩やかな登りのちょっとした直線。沖縄特有の石灰岩を綺麗に敷き詰めたスロープ状の階段を登る。これもまた何処で体験したような道だ、そう。首里城の中庭、広いスロープ状の石畳と似ている。(6)
(6)斎場御嶽入り口近くの段差と直角に曲がるポイント(ITARUS) |
その先に一段上がった石畳の平場がある。そこに登った瞬間、目の前に一気に景色が広がる。
絶句。
真正面、山肌の裂け目に神の島・久高島が現われる。
言葉を忘れてしばし眺める。
とても平らな姿をした島。
海に浮かぶ祭壇のような島。
<曲線と直角の不思議な導線>
前に進もう。
あれ?
そのポイントで道が直角に曲がっている。
なんで此処で違う方向にいざなうのだろう?
いままで緩やかなカーブだったのに、この角度人工的すぎないか?
そしてこの切り取られた石畳だけなぜか奇麗に四角い。疑問がわき上がる。???
そこまでは少し起伏のある地形に沿った道を進んできた。
なぜ直角に折れているのか?この石を敷き詰め並べた、いにしえの人々のことを考える。
なにか意図がないか?
キョロキョロと当たりを何度も見回してみる。
<方位と布置>
目の前に絶景の久高島。クランクを作りその印象を強めたのか?
それもあるが、それだけでは床の石畳の形は説明できないし、、。
さらに道は折れて緩やかに登りながら奥へと繋がっているし。
うーん、地面の石は奇麗に四角い。祭壇かな?四角く空間を切り取り世界を見せる、、。
四角く世界を捉える、東西南北と関係している?
ここまで色々と憶いを巡らしてみて、
ちょっと思い立ってスマホで方位を確認してみる。
すると、磁石の真東が久高島を指している!!
鳥肌が立つ。
このスクエアな石畳は久高島を真東に捉えている。
という事は、秋分か春分の日、海から登る太陽が久高島と交わるのを見る為にこの石畳はこの位置にこの角度で布置されているのではないか?
呆然と立ち尽くし、また久高島を見つめる、、。
この石により季節、時間と太陽の位置と久高島の見え方が関係している!
なんて見事な環境の読み解きだろう。
そしてなんてドラマティックなシーニックデザインだろうか!
<ニライカナイ>
東の彼方に幸せの世界があるというニライカナイ伝説。
この極東の列なる島々を目指した、いにしえの人々が皆心に抱いたであろう伝説。
東海の小島の磯の、、。
そのたどり着いた島々から見える果てしない海原のそのさらに向こう。
太陽が昇って来る方角。ニライカナイの方角。
二十四節期の一番大きな節目である秋分と春分の時。
一年に二度、海と島と太陽が重なる瞬間があるはずだ。
そのシーンを想像してみる。
その時、平らな久高島は太陽のための祭壇になるのではないか。
<二十六夜待ち>
二十六夜待ちというイベントが江戸時代にあった。(8)
品川、高輪の高台あたりから江戸湾を望む地平線の彼方に、秋の深夜、二十六夜の細い三日月が登ってくる。地平線の境に現れた三日月は、波に反射する光の屈折も相まって、釈迦三尊を乗せた黄金の舟に見えるという。
(8)『高輪海浜七月二十六夜待』(江戸名所図絵より) |
<太陽の祭壇としての久高島島>
環境とより深く対話していた、いにしえの人々の見立てが可能にしたビジュアルアナロジー。
<アガリマーイと御嶽>
その石畳の道はその先、緩やかなカーブを描いて登っていく。自然の地形に沿ったカーブだと思うが、先程の直角に曲がる空間的仕掛けに接すると、この緩やかなカーブにも意味が込められているように思えてくる。
どうも山の斜面を緩やかに西に回っている。
琉球王朝の神事、アガリマーイ(東廻り)
それは先祖と再会し何カ所かに散らばる神域を繋ぐ道を巡る巡礼の行事だという。(注釈)
それは東から回っていく。
オーストラリアのアボリジニーが文字の代わりに持っていた歴史と地誌を結びつけた記憶としての歌の道。先祖と大地を結びつけていたソングラインと似ている。
アガリマーイも道を訪ね歩くことにより先祖と再会する、そしてそれを巡る役割りは父系血族が担う。
一方ここは女性しか入れなかった御嶽。
わざわざ山の頂上にある巨大な岩の神域まで東回りとは逆の西回りの道を拓いたのではないか?
それはさすがに考えすぎだろうか?
<大地が天空と出会うところ>
門のように両サイドに巨岩を眺める場を抜けて、左に回り込むとこの御嶽の一番奥で一番高い場所にたどり着く。巨岩が頭上に覆い被さる大地との裂け目に、またも祈りの為の石畳の平らなエリアがある。
その一番奥まったところに下が丸くえぐられた小さな不思議な石が数個寄り添うように置かれている。
山の頂上、巨岩により自然に作られた大地の裂け目、それを通してここは地が天と出会うところ。
しばしそこに佇む。
<感覚が揺さぶられる空間体験>
今度はそこから戻り、T字路を直角に東に回り、海に近い少し開けた一番不思議な場所に出る。
海側の大きな岩が覆い被さように重なり三角形の空の裂け目が突如現れる。
形容出来ない空間体験。
岩に対しこちら側にいる人と、少し開けたこの空間に覆い被さりながら、しかしその先にいざなうように鋭く切りとられた立体的で幾何学的な広がり。こちらと向こうに強いベクトルを持った空間。
大地と空が裂け目を通してつながる。
見たことのない、体験したことのない感覚が襲ってくる。
吸い込まれるようにゆっくりとゆっくりとその空隙を進む。そこを潜り抜けるとさらに小さな空間があらわれる。エアーポケットのような場所。
視界は左手のみ、山肌に切り取られた風景の中、海に浮かんでいるのは、、。またも久高島島だ。
またも絶句。
とんでもない時空の演出。写真では伝わらない空間体験だ。
そして再び方位磁石を確認する。
このシークエンスの行き着く先、久高島の方角は、先程神域への入り口で見たのと全く同じ方角、真東だ。(11)
(11)サングーイの先、小さな空間(エアポケット)から久高島を望む(ITARUS) (水平線に薄く消え入りそうなのが久高島) 勾玉のようにフレーミングされた視界 |
久高島を二度みる。それも同じ方角に。
経験が重なり、デジャブのような感覚が起こる。
ここまで、空間を肌で体験するために敢えてなるべく解説を読まずに歩いてみた。
やっと解説の看板を見てみる。
<再び出会いなおす道>
斎場御嶽には、首里城にある幾つかの場所と同じ名前がついているという。
先祖と再び出会うための道、様々な場所や要素に、出会い直し記憶が重なるような仕掛けが施してある。
時の流れが逆行し、あるいはスリップし、現在と過去の記憶が重なるデジャブ感。
頭がクラクラする。
また解説にはそのエアポケットのような場所の先、崖の下からは勾玉や穴の空いた古銭が大量に見つかっているという。ビジュアルアナロジー的に考えればそれは太陽のカタチだ。そして見つかった遺品はすべて柔らかい線と二重の円のイメージを持っている。勾玉は陰陽を現す巴が重なり円を作り出す形。穴の空いたドーナツのような古銭の形は、ネガとポジの円が二重になっている。(12)
大地と空とが出会い太陽がさらに重なる特別な時を演出した、時空を旅するためのシーニックデザイン。
世界の諸要素が重なり溶解する瞬間に、人は太陽のイメージである勾玉、穴の空いた古銭を久高島に向かい祈りと共に投げたのではないか。
そして、その時空の裂け目、太陽が再び誕生する瞬間は生命の誕生の瞬間とも重なり、
生命を生み出す女性の身体や胎児のイメージとも重なるのかもしれない。
新たな一日、季節の境目、一年の再誕を象徴し天空が重なる日の出の瞬間。
死と生が重なり光輝く時空の神秘の裂け目を通し
死の世界にいる先祖と新たに出会い直すのだ。
<境界性芸術としての斎場御嶽>
沖縄。極東のはずれ、琉球王朝のあった島。
その島の東のさらにはずれ、小さな岬に抱かれるように佇む御嶽。
女性しか入ることの許されなかった密かな神域。
女性しか入ることの許されなかった密かな神域。
その時空の裂け目からニライカナイを幻視した人たちがいる。
此れ程までに環境を深く読み解き、生命の神秘と天空との関わりを探った、祈りとしての芸術的行為がかつてあっただろうか。
地球の自転と太陽との関係により生み出される季節がもたらす生命の生と死の営み。ストーンヘンジ、エジプトのピラミッド等、超越的なものと対話するために人類が大地に刻まなければならなかったアート行為の、また別の密かな表象がここ斎場御嶽にある。
冬とは言え、なんだか生温かな空気をまとい斎場御嶽をあとにした。
必ずもう一度出会いたい、いや出会わなければならない場所。
今度来る時はスケッチできる時間があるとうれしい。
冬とは言え、なんだか生温かな空気をまとい斎場御嶽をあとにした。
必ずもう一度出会いたい、いや出会わなければならない場所。
今度来る時はスケッチできる時間があるとうれしい。
*アガイマーイ(東廻り)とは?
行事名。東方めぐり。ムンチュー[門中](父系血族)で行う拝所巡礼。首里城を中心に、知念村、玉城村などの東方の霊域をまわり、祖先の跡をたどって巡拝する。アガイマーイ agaimaai 、アガイウマーイ agaiumaaiともいう。ムンチューの代表者などが一週間以上かけて巡拝する。8月から10月の農閑期に行われる。参拝には、三年毎(サンニンマールsaNniNmaaru)、五年毎(グニンマール guniNmaaru)、七年毎(シチニンマール siciniNmaaru)などがある。16世紀以前は国王や聞得大君(最高神女)を先頭に、100人の官を引き連れて行った琉球王府の祭祀であった。
首里・那覇方言音声データベースより