『古代ギリシャのシーニックデザイン1』
今回は古代ギリシャの舞台におけるセノグラフィーの装置の幾つかをみていこう。
<メカーネとデウス エクス マキナ>
古代ギリシャの三大悲劇作家の一人、エウリピデスの作品においてラストシーン近くに突然の雷鳴を伴って神が出現するというパターンがある。
錯綜した話しを無理矢理に終わらせる手法であり、神がクレーンに乗って登場した事からこれをデウス エクス マキナ(Deus ex machina=機械仕掛けの神)という。クレーンの機構自体をメカーネ(Mechane=機械)といった。復元図のイメージには幾つかある。
(1)は一番シンプルで原始的だ。
軸をもった支柱を中心にテコの原理でカウンターウエイトによりクレーン自体を可動させ、飛行する人を動滑車で吊りあげロープワークで昇降させるもの。
(2)はかなり現実的だ。ルネサンスの舞台機構のアイデアを使い復元したもののようだ。
クレーン本体は舞台奥の建物の上にあり隠れている。また、回転軸があり舞台から見えないところから登場できる。ロープはウインチで巻き上げる。
(3)はまた別の復元図。この方法はクレーンの軸となる部分は可動せず、フレームに強固に固定されており、動滑車で吊り上げるだけの機構。おそらく安定して持ち上げられそうだ。
(2)ルネサンスの機構のアイデアを利用して復元したメカーネの案(Making the scene) |
クレーン本体は舞台奥の建物の上にあり隠れている。また、回転軸があり舞台から見えないところから登場できる。ロープはウインチで巻き上げる。
(3)別のメカーネの例 http://www.wou.edu/~aarndt08/myweb/tech.htmlより |
<復元実験>
以前、京都造形芸術大学の研究会で、実際にこのメカーネの機構を復元し、当時の台本から神が登場するシーンを演じてみるという実験を行った事がある。
台本はエウリピデスのものではなく、喜劇詩人のアリストパネスの『雲』。
パネラーとして参加頂いた近畿大学の八角教授に実験の最中に上演箇所を選んて頂いた。
抜粋の箇所は以下。(最後に引用)
この作品は喜劇で、借金取りを弁論で封じ込めるため、金持ちになりたい者が智者ソクラテスに相談するという、的はずれで滑稽なもの。ソクラテスの弁論術を詭弁として揶揄してもいる。その問題のシーンではソクラテスが神のようにメカーネで登場する。
上の3つの復元図を元に参加してくれた学生達とワークショップをしながらイメージ図を描いていく。しかし実際に手近な材料を使い、人を吊り上げるという発想で実施図を描く段になり壁にあたった。
復元図(1)にある材木の長さでは、人の荷重を支え、さらにカウンターバランスの重さを加えると長すぎて折れてしまうか、たわんでしまう。また、このような支柱と回転軸では土中に固定したとしても、細すぎて筋交いもないため、クレーンを動かそうとすると崩れてしまう。
舞台を使っての実験だったので、劇場にある平台とシズと幾つかの材木で最初、こんな形に組んでみた。(4)
発想と構造はなるべく元の図に近づけようと頑張るも、こんな不恰好な装置になってしまった。頑丈な支点が必要なのだ。アルキメデスの点のように。
さらに、クレーンの部分は舞台の大道具等の製作でよく使用するカマチ材をダブルにして4mほどの長さにしてみたが強度に不安が残る。
<人を吊ってみて解ったこと>
実験で吊られる学生の荷重が40〜50キロ。それを図(1)のイラストに近づけるべく人を吊る方の棒の長さを軸を境にカウンターウェイトを付ける方の長さの倍以上にすると、必要なカウンターウェイトの重さは釣り上げられる人の重さの倍必要だから100キロ以上になる。
カマチ材で持つのか?
体重と合わせて棒には常時150キロの荷重がかかり、さらにクレーンを動かすとモーメントがかかり、実際の荷重の1.5から2倍になるはずだ。これは無理だ。カマチ材が折れてしまう。
<復元図の謎>
それでまた、復元図を見返してみる。この図では軸よりも先の部分の長さが2倍どころではない。そうすると吊られる人の重さの4〜5倍のカウンターウェイトが必要になる。
この形は絶対再現できない、、。
この形は絶対再現できない、、。
なるべく、構造は復元図のようにしてみたい。恐る恐るゆっくりと持ち上げてみる。無理!カマチ材がしなる。実験で吊られている学生の目がこわばる、、。
仕方なく、力を分散するため、恐らく古代には無かったであろうトラス構造に変更する。
だんだんと形は工事現場のクレーンに近づいていく、、。
<別の発見>
完成したものはとても不恰好なものになった。しかし収穫はあった。
復元図が必ずしも正しいとは限らないということ。それを実感した。
そして、発見もあった。
実際に台詞を交えシーンをやってみると、ソクラテスがストレプシアーデス(ソクラテスに弁論術を習おうとしている人)にこの装置に乗ってみなさいという箇所で、冠を渡し被らせるというのがある。
”もしかしてこれ、ヘルメットの代わりだったんじゃない?”
実際吊られている学生は危ないのでヘルメットを被ってもらった。また、もしもクレーンの棒、問題のカマチ材が折れたら大変なので床にはクッションを敷いた。
”もしかしてこれ、ヘルメットの代わりだったんじゃない?”
実際吊られている学生は危ないのでヘルメットを被ってもらった。また、もしもクレーンの棒、問題のカマチ材が折れたら大変なので床にはクッションを敷いた。
ソクラテスの方はクレーンに吊られブランコに乗った状態で登場するので、始めからなんらかのセーフティーをかける事ができる。衣装の下に見えないようにワイヤーを掛けるとか、今回実験で行ったように小道具としてヘルメットを装着するとか。
しかし、この後ブランコから降りたソクラテスの代わりに、釣り上げられてしまうストレプシアーデスの方にもセーフティーは必要だ。
現代のフライングシステムでもそうだが、舞台上でシステムを装着するのは、物理的に時間がかかるので、飛ぶ前に俳優は一度、舞台袖に隠れる事が演出的に多い。
舞台上でソクラテスから安全装置としての冠=ヘルメットが渡されたと見立てると、このシーンの面白みがましたのだ。
ト書きの演出的指示と実演での必要性が一致した瞬間だ。
もちろん古代ギリシャでの実際の上演がどのようであったのかは推測の域を出ない。実験を行ってみて解ったのは、後世の復元図、特にイラストで描かれたものは、一見リアルなのでその形を鵜呑みにしてしまうが、身体と関わるパフォーミングアートの場合は特に、自分の目と手で考え実演してみる事が重要であると再認識した次第だ。
<黄門様の印籠>
デウス エクス マキナというドラマツルギーが、水戸黄門のラストシーン近くで印籠を見せて、関係を一変させ話しを終わらせるのと同じだと言われる事があるが、シーニックデザインの立場から考えると全く違う解決方法でもある。
助さん格さんがフトコロに隠してあった印籠という、とても小さな小道具で問題を解決するのに対し、デウス エクス マキナは、当時のハイテクであった巨大な機構・メカーネのクレーンに乗り雷鳴を伴い登場する。とてもダイナミックなものだ。
鑑賞者の視点を、小さな一点に集中させる印籠に対し、クレーンにより視点を上空へ移動させそれから降下させるダイナミズム。鑑賞者の視点の空間における移動という観点とそれによって引き起こされる感覚の変化としては、このメカーネと印籠では大きく異なる。
しかし、なぜ神が機械仕掛けで登場する必要があるのか?
<ドン ジョヴァンニの騎士長の銅像>
モーツアルト作曲、ダ・ポンテ作のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』で登場する騎士長の銅像。冒頭でその騎士長を殺してしまった主人公、ドン・ジョヴァンニが、物語の後半に墓地を通りかかったおり冗談で銅像を夕食に誘ったら、銅像が頷き夕食に現れる。そして最後は主人公ドン ジョヴァンニを地獄に引きずり込む。
銅像なのにうなずき、歩き、喋る。あり得ない非日常的な出来事。そしてこの銅像の出現の仕方も、ダイナミックだがシーンをあえて断然し、どこか大げさ過ぎて馬鹿げてもいる。デウス エクス マキナに通じるドラマツルギーがある。(6)
2015年秋の日生オペラ『ドン・ジョヴァンニ』の舞台美術を担当させて頂いた時、演出の菅尾さん、ドラマターグの長島さん、照明の吉本さんらとそんな話をしながらプランを練っていった。(図は触ろうとするがすり抜けることができるストリングスカーテンに映る映像としての騎士長)
天が割れ、地獄が開くとき、日常ではあり得ない事が起こる。それを表現する為に人間の知であるテクノロジーがかかわる。
<デウス エクス マキナの系譜>
銅像なのにうなずき、歩き、喋る。あり得ない非日常的な出来事。そしてこの銅像の出現の仕方も、ダイナミックだがシーンをあえて断然し、どこか大げさ過ぎて馬鹿げてもいる。デウス エクス マキナに通じるドラマツルギーがある。(6)
(6)2015年日生劇場オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(日生劇場) |
天が割れ、地獄が開くとき、日常ではあり得ない事が起こる。それを表現する為に人間の知であるテクノロジーがかかわる。
<デウス エクス マキナの系譜>
まぼろし、あり得ない事態、超越的なものを表徴する時にその種を手品のように隠すのではなく、あえて大げさな機械仕掛けを使う。
超越的なものと関わるこの装置的なシーニックデザインの発想は、古代ギリシャのみでなく、中世の聖史劇の神や天使が乗る雲の仕掛け、バロックのイリュージョニックな装置に繋がっていく。
アリストパネス『雲』より引用。
岩波文庫 2008
ギリシャ喜劇全集 よりP226~P229
ストレプシアデース ゼウスにかけて、痛い目に遭いたいのかね。
おや、あの吊り籠(四方を縄で編んでつくられたマット)に座って
いるのはいったい誰ですか、人間ですか。
門弟1 当のご本人だよ。
ストレプシアデース ご本人とは誰です?
門弟1 ソークラテース先生さ。
ストレプシアデース ああ、ソークラテース先生とは。さあ、これ、大きな声であの方に
声をかけてください。
門弟1 自分でお呼びすればよい。こちらは暇がないのでね。
(門弟1、瞑想塾の中に消える。道具類はエッキキュレーマ(舞台装
置)によって塾の建物の中に消える。舞台にはストレプシアーデス
と空中に浮かぶソークラテースが残る)
ストレプシアデース ソークラテース先生、ソークラテース先生。
ソークラテース ひぐらしの命はかない者よ、なぜ私を呼ぶのか。
ストレプシアデース お願いです、何をしているのか、まずお話しください。
ソークラテース 空中を歩き、太陽について思いをめぐらしているところ。
ストレプシアデース すると、地上ではなくて、空中の鳥籠の上から神々をはるか下に見
下ろしているわけですね。
ソークラテース 精妙なる瞑想をこれと相似の空中に同化させて
探求するのでなければ、空に浮かぶもろもろの問題を
正しく発見することはできなかったであろう。
上天にあるものを下の大地から観察していれば、
まず発見は不可能であった。すなわち、大地の力でもって
瞑想のなかの湿気を手前の方に引き寄せるからだ。
クレソンもまたこれと同じ作用をしている。
ストレプシアデース なんとおっしゃるので?
つまり、瞑想が湿気をクレソンのなかに引き寄せるというのですね。
さあ、先生、私のいるところにおりてきてください。
ここへやってきた当の目的のものを教えていただきたいのです。
ソークラテース いったいなんの目的で来たのか。(籠から舞台に降りる)
ストレプシアデース 弁論の技を勉強しようと思いまして。
利払いと、容赦ない借金取りにひきずりまわされ、むしり取られているのです。
すべて財産は差し押さえられてしまいました。
ソークラテース 借金責めになっていると、どうして気づかなかったのか。
ストレプシアデース 食い気の盛んな馬狂いの病気に苦しめられましてね。
先生の二つの論法の一つを、何も返済しなくてもよい論法を
どうか私に伝授してください。お礼ならば、私のできることは
どんなことでもすると、神々に誓約します。
ソークラテース 誓約する神とはどんな神々かね。まずわれわれのもとでは
神々とは頼りにできるお金ではないのだよ。
ストレプシアデース すると誓いには何を使うので。ピュザンティオンのような鉄の銭ですかね。
ソークラテース 神々について、これがいったいどのようなものか、はっきりと知り
たいと思うかね。
ストレプシアデース ゼウスにかけて、なんとか可能ならば。
ソークラテース われわれの信じる神である雲の女神たちと交わり対話したいと。
ストレプシアデース そのとおりです。
ソークラテース では、霊験あらたかなこのマット(籠)に座りなさい。
ストレプシアデース さあ、腰を下ろしましたよ。
ソークラテース では、この頭飾りを受け取りなさい。
ストレプシアデース 頭飾りは何に使いますか。やれやれ、先生、アタマースのように生
け贄にされることのないように頼みますよ。
ソークラテース それはない。われわれの仲間に加わろうとする者にはこれらのこと
すべてを実施しているのだよ。
ストレプシアデース それでどういう得があるのですか。
ソークラテース 弁舌の手練れ、立て板に水の、小麦粉のようにきめ細やかな話し手になる。
さあ、じっとしていなさい。(ストレプシアデースの頭に小麦粉をかける)
ストレプシアデース ゼウスにかけて、ペテンにかけたわけでなかったな。粉にまみれて、
きめ細かい小麦粉になりそうだ。
参考文献
Oscar G.Brockett「Making the Scene』
ギリシャ喜劇全集 岩波文庫 2008